ミニ・シアターに好感

 何年ぶりかで仙台のミニ・シアター「フォーラム仙台」に行ってきました。「レイチェル・カーソンの感性の森」という映画を観るためです。行ってみて思いました。ミニ・シアターはとても大事な文化であると。
 なぜかといえば、ミニ・シアターには「哲学」があるからです。哲学と云えばとてもたいそうに考えがちですがそれは違います。どんな人だって「善きこと」とか「善き生き方」について考えるなら、みんな哲学者です。人生哲学は学問ではありませんからね。

 同じ考えや感性を持った人たちが、制作時期や巷の人気などにとらわれず、良い作品を選んで上映する。そうすると映画館はただの「箱」ではなく、人が住み集う「家」になる。人が住むどの家も住む人の感性で一つ一つ違うように。そして今、この映画館では原発や核、環境問題を取り扱った過去に制作された内外の映画を順に上映しています。

 さて、本日の映画「レイチェル・カーソンの感性の森」について少し・・・

 レイチェル・カーソンという方は私が小学校1年生くらいに出版された「沈黙の春」という本の作者です。この本の影響によりアメリカではDDTが禁止されるなど、その後の環境政策にきわめて大きな影響を与えたとのことです。

 レイチェル・カーソンはガンにより50代で亡くなりました。この映画は彼女役の女優が、レイチェル最後の一年を、彼女がとても好んでいたというメイン州の海岸にある実際の別荘で、たったひとりで私たちに語りかけるという形式でつくられています。もとになった本はレイチェルの遺作「センス・オブ・ワンダー」です。

 この映画ができるずっと前から、その女優はレイチェル・カーソンを敬愛し、彼女になりきり全米の高校や大学などで一人芝居を続けていたそうです。たぶん本当のレイチェルも「自分がいる」と言ったに違いありません。私はすっかり本人だと思って見ていました。

 映画を見てびっくりしました。2008年制作なのにまるで3.11の原発事故後に作ったのでは?と感じたからです。放射能を農薬に、経産省を農務省に、電力会社を化学メーカーに置き換えただけで、あとはすべてそっくりなのです。

 経済界や政界の猛反発、その圧力で何も書けない、いや逆にレイチェルを非難するマスコミ、御用学者や評論家の安全理屈・・・それぞれの人たちが属する社会構成と言い分は今も昔もまるで同じ。空しさを感じるものがありました。

 最後にレイチェルになりきったカイウラニ・リーのつぎの言葉が印象的でした。「自然と触れ合えば皆、自然と恋に落ちる。それこそが地球を守る唯一の方法であるということを、多くの人に伝えたくてこの舞台を始めた」

 あ、そうそう、「なんば歩き」の復権で有名な武術研究者の甲野善紀さんはレイチェル・カーソンを「歴史上最も尊敬する女性」と語っているそうで、この映画にちなんだ対談会もどこかで予定されているようでした。武術と環境の思いがけない嬉しいつながりです。