水木しげる「福島原発の闇」

 32年前の幻のルポ&イラストが見つかり復刊されました。堀江邦夫さんの「原発ジプシー」という文を水木しげるさんが絵にしたものです。当時アサヒグラフに掲載されました。すべては32年前に起きていた・・・。

 32年前、水木しげるさんが57歳のときこの絵は描かれました。引き受ける時の様子です。

 水木さんは藤沢記者の話に耳を傾けると、すぐに、「やってみましょう」と答えた。原発をとりまく状況を即座に把握した勘の鋭さに藤沢記者は驚いたという。そして水木さんはこう語った。

 「まるで戦場のようですな」

 戦争の実像を描いてきた水木さんは、原発で働く労働者の姿に、無責任な大本営体制のもとで末端兵士として死にかけた自らの戦争体験を重ねていた様子だった。

 本の中から数枚だけ引用させていただきます。
 

 原発は「パイプの森」だそうです。私たちは原子炉容器が頑丈であることだけを聞かされていましたが、実は数万本のパイプとそれを保守する人手による作業が旧態依然のままで、そこに大きな危険性があるらしいのです。

 水木さんの描く絵はまるで邪悪な生き物の体内のようなイメージです。

 原発の近くに住む僧で作家の玄侑宗久さんは「龍が暴れ出した」と言っていましたが、この絵を見るとまさに金属的な最先端科学の象徴ではなく、まるでエイリアン船とかワクチンのない病原菌で培養発電しているような、生理的なおぞましさを感じます。

 たぶんこのイメージの違いが、少なからず原発に賛成か反対かのベースになっているんだと思います。化学兵器や細菌兵器が禁止されているのはそのおぞましきイメージからですよね。

 放射能はそれ以上の害を与えるものなのに、目に見えないから五感でイメージできないんですね。だから芸術的というか文化的傾向の強い人はほとんど反対しているんですが、想像力が少ない人は確率とか効率とか、数字に走ってしまいがちなんですね。

 でも私は思うんです。生き物とよばれるものは数字でも金属でもない生身だ。その生き物の幸せのために科学技術があるとしたら、数式とか理屈のまえに、まず私たち生き物の体とか想像力とかがもっと大事でしょう。いい年をした大人がそのへんをおまけみたいに考えてはいないか、と。

 もうひとつこの関連のお話を。
 私事ですが、昨日床屋に行きました。その店の長男が私にこんな話をしてくれました。

 私の同級生が実は福島第一原発に勤務しているんです。ときどきそいつからメールや電話があるんですが現地の実態にびっくりしますよ。

 管首相の指示で1号機をベントしましたよね。なぜすばやくしなかった、とかいわれてますが、実はベントするには複数のふたを開放しなければけない構造なんだそうです。

 そして、その最後のふたにはチェーンが巻かれていて南京錠が付いているんだそうです。それは結局人が外して開けなければいけないらしいんです。その作業にあたる二人が決められるときは戦々恐々だったと言ってました。

 それと汚染水の循環がしばらくうまくいきませんでしたよね。あれにもびっくりしました。建物が損傷したので水と一緒に瓦礫も流れるんだそうです。ところがそれを取り除くためのフィルターがない。

 その友達は思ったそうですよ。それは設計者が当然知ってるはずでまさか間違いはないはずだ、と。ところがなかったんです。そのためがれきが詰まって動かない、放射能まみれのがれきだから撤去も大変。という、信じられないミスだらけなんだそうです。

 そいつは、今は放射線測定の係に替わって前ほど危険ではなくなったらしいんですが、半年で10キロ太ったそうですよ。なにせサトウのごはんとかレトルトとか、そういった食事だけなので。

 今日で大震災から半年、何を書こうかと迷い、原発のことを書くことにしました。

 私たちがどんな幸せな未来を願っても、原発事故が起これば広範囲、長期間、それこそ想定外の不幸ですべてひっくり返ります。原爆、原発、放射能、とりかえしのつかないことに対する怖さを実感しない怖さについて書いておかなければと思ったのです。