どじょうと天気予報

 政界(のどぶ?)から「どじょう」ブームがやって来ました。浅草のどじょう料理屋さんも忙しくなりそう。さて朝のラジオで「どじょうと天気予報」の話を聞きました。
 どじょうは気圧にとても敏感なんだそうです。というのは気圧の変化で水中の酸素量が変化するため、気圧が低くなると上のほうに上がってくるんだそうです。

 これを昔の人達はちゃんと知っていたらしく、農家ではどじょうを水槽に飼って天気予報に使っていたらしいんです。(困った時には食料にもなりますから実に重宝ですね)

 自然の中の生き物の超能力については実に驚きます。ナマズも地震を予知するというし、災害が起こる前には多くの動物たちがいつもと違う行動をしたりとか、あまた例があるようです。

 考えてみると、生き物も自然の一部だから、自然の変化について敏感なことは当たり前なのかもしれません。

 逆に、人間がその能力を失ってしまったということが異常なことかもしれません。

 予知能力とかが超能力のように言われますが、すべての変化には予兆があると考えれば、予知とは微弱な予兆を感じとる能力ともいえるでしょう。

 そうすると、予知予見などを扱うトンデモ学といわれるものも、いいかげんな学問ではなく予知科学として十分研究に値するのではないでしょうか。

 考えてみれば人間の歴史は逆噴射の歴史です。地球を壊す、人を殺す、能力を劣化させる・・・

 今こうしてキーをたたいているコンピューターだってそうですよね。つい数十年前まではこんなのなくたって仕事はできたし、ないときにはないで何も不自由はなかったわけです。

 コンピューターを電卓の化け物と考えれば、元祖電卓で私たちの計算能力は壊滅に向かいはじめました。

 車もしかり。「そんなこと言うけどあんただって車がなければ遠くまで行けないでしょう」と言われそうですが、いつまでたってもそれは切りがないから同じこと。今だって車で海の向こうには行けないわけですし、ロケットだって月より向こうへ人はまだ行けないわけですから。

 人間様がつくった道具で唯一人間様の能力を伸ばしたものはただひとつ。それは「そろばん」(と言われています)。これは使えば使うほど人間の暗算能力が向上します。こういうのが「真の道具」というものではないでしょうかね。

 究極の逆噴射は原爆でしょう。何ですかこれは?邪悪なエイリアンと宇宙の果てで戦うために作ったのではないんですよ。同じ地球の同じ姿をした人間を焼き殺すために作られたんです。地球を一軒の家と考えれば、兄弟げんかで家中にガソリンをまいて火をつけるようなことです。家も家族も全滅じゃないですか。

 宇宙人ジョーンズもびっくりです!

 まったく文明の進歩というのは錯覚にしかすぎません。進歩といったて私たちがなにひとつ利口になっているわけではありません。

 あの9.11がいい証拠ですよ。びっくりしたのは「殺せ!殺せ!」の大合唱。いったい数千年の人間の学問なんて何の意味があるんだ?世界でとても優秀な人達があこがれ集まるアメリカも原始時代と何ら変わりがないじゃないか、とショックを受けたものです。

 こうした観点でもういちど歴史を調べ直したら、きっと別な歴史教科書が出来ることでしょう。その名前は「滅亡への歴史」。それを人は「自虐史観」をもじり「自爆史観」とよぶことでしょう。

 「どじょう」の話がここまで脱線してしまいました。すみません...。