人生の季節

 すっかり秋めいてきました。先週末の夜、薄着で自転車乗りをしたせいか軽い風邪を引いてしまいました。春夏秋冬、必ず巡り来る四季は人生と同じようです。あと2年で60歳になる私の「人生の季節」はきっと「秋」でしょう。
 「秋」は落ちついた季節、実りある季節、そしてふと冷たい風が通りすぎる季節でもあります。

 本日は茨木のり子さんの詩集から一編。

「詩集<対話>」より

ぎらりと光るダイヤのような日

短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の

お百姓はどれほど田植えをするのだろう
コックはパイをどれ位焼くのだろう
教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう
子どもたちは地球の住人になるために
文法や算数や魚の生態なんかを
しこたまつめこまれる

それから品種の改良や
りふじんな権力との闘いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
ばかな戦争の後始末をして
研究や精進や結婚などがあって
小さな赤ん坊が生まれたりすると
考えたりもっと違った自分になりたい
欲望などはもはや贅沢品になってしまう

世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりに少なかったことに驚くだろう

指折り数えるほどしかない
その日々の中の一つには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう

<本当に生きた日>は人によって
たしかに違う
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ

参考(茨木のり子さんの詩を引用してあるブログです)
倚りかからず
ロートル・ネット・シンドローム
「鍵」を探し続ける日々
年々かたくなる、からだと心
ふと心をうたれた詩