一番心あたたまる短編

 私が一番心あたたまる思いをした短編小説、それは矢田津世子(やだつせこ)著「茶粥の記」という小品です。矢田津世子は坂口安吾の恋人としても知られています。

 矢田津世子は文章力と美貌を兼ね備えた女流作家として人気を集めました。しかし美人薄命というのでしょうか、昭和十九年三十七歳で亡くなりました。

 作家名も「茶粥の記」という作品名も決して多くの人に知られているわけではありませんが、私はずいぶん前に筑摩書房『ちくま文学の森』で出会い、その後何度か読み返しています。

 人知れず道の片隅に埋もれている土くれのダイヤ、そんな作品とか人が大好きなんです。私は。

 さて、この本のあらましを少し。

 清子は役所で地味な仕事に就いている良人と姑と三人で慎ましいながらも仲良く暮らしていた。

 その良人が急に亡くなった。不安な思いを抱えた姑と一緒に清子は郷里秋田へ帰ることにした。

 荷をあらかた送り出して明日立つという前の朝、清子は久し振りで茶粥を炊いて姑と二人で味わった。茶粥は清子の自慢料理であり良人の大好物でもあった。清子の脳裏には、亡き良人の懐かしい生前の姿がいきいきとよみがえっていた。

 良人は区役所の戸籍係りだった。うでに黒い小手をつけ年がら年中地味な仕事を続けていた。

 思えばこうした楽しいやりとりも今となっては詮ない繰り言になってしまった。
 この頃になって清子はやっと正気づいたような気持で亡夫のことをあれこれと思い出すのだけれど、眼にまつわるのはその面立ちよりも不思議にいかつい肩のあたりや墨汁臭い指だった。この思いがけなさに清子はまごついた。良人はいくらか猫背の右肩だけが怒ったようになっていて、そのため後ろ姿が癇の強い年寄りじみて見えた。長年硬筆を使っていたため右手の中指にはコチコチのたこが出来ていて、そこだけ墨汁が染みこみ黒ずんで、風呂に入ってもどうしても落ちなかった。

 そんな地味な良人だが、実は大変な食通、というか食べたことがないものをおいしそうに話す名人で、食べ物の話をするときの様子はまるでその場にいるようだった。雑誌にもよく依頼されて寄稿していた。清子はその様子を回想していた。

――今でも忘れられないのは初夏の広島の「白魚のおどり食い」だ。朱塗りの器、といっても丁度小タライといった恰好に出来ている器物だが、この中に白魚を游(およ)がしてある。よく身のいった、どれも三寸は越していようという立派なものだ。赤い器に白魚! 実に美しい対照だ。游いでいるやつをヒョイと摘まむんだが、もちろん箸でだ。なかなか、こいつが掴めない。用意してある柚子の搾り醤油に箸の先きのピチピチするやつをちょいとくぐらして食うんだが、その旨いことったらお話にならない。酢味噌で食っても結構だ。人によってはポチッと黒いあの目玉のところが泥臭くて叶わんというが、あの泥臭い味が乙なのだ。あの味を解さんで「白魚のおどり食い」とは不粋も甚だしい。この他、舌に記憶されているものでは、同じ広島で食った「鯛の生(いき)作り」と出雲名物の「鯉の糸作り」だ。鯛は生きのいい大鯛を一匹ごと食膳に運んでくる。眼の玉にタラリと酒を落すと、俄然鯛の総身が小波立ったように開く。壮観なものだ。生きた鯛に庖丁を入れて刺身につくってあるわけだが、鯛にはまことに気の毒でも、このくらい舌を喜ばす珍味はない。「糸作り」のほうは鯉を糸のように細長く切って、その一本一本に綺麗に鯉の卵をからみつけたものだが、恐ろしく手のこんだ贅沢な珍品だ。

 良人の文章はまだ続いて、土佐の「鰹のたたき」のことが、その料理の仕方まで懇切に述べてあるのだった。

 読みながら清子は、「嘘ばっかり、嘘ばっかり」と見えない良人を詰った。食べもしないくせに嘘ばっかり書いていると肚立たしい気持になったが、しかし不思議に良人の文章から御馳走が脱け出して次ぎつぎと眼前に並び、今にも手を出したい衝動に、清子はつばが出てきて仕方がなかった。

 姑と秋田に向かう途中、二人は小諸温泉に泊まった。温泉が初めての姑は、不安を払いのけるかように大変はしゃいでいた。

遺骨と三人の旅だったけれど、姑は哀しいほど浮き立って、ひっきりなしに話しかけ、隣席の学生や前の老爺へ海苔巻を分けてやったり飴玉を勧めたりした。

 清子は行く末を心に決めていた。

清子は結婚前その飯田川の小学校で代用教員をしていた。
 帰郷後の清子の身の振り方については、実家の両親や親戚などがかなり喧ましく干渉するのだったが、清子は姑を守って学校に奉職することに決めていた。孤独な姑を残してどこへ行く気にもなれなかった。

 亡くなった息子のこと、異郷での新生活のこと、清子の再婚のことなど、言えぬ悩みを抱えた姑ではあったが、一夜の温泉で清子とふたり絆を深め合うのだった。

 清子は久しぶりに後ろ手に組みながら、娘時代の友人たちを思い浮べた。そしてこれから先きの年々、姑と二人のささやかな暮しが今眼の前で始められたような気がするのだった。

「なんと、腹コの空くこと。おしょしくてなし」
 姑は気まり悪そうに言いながらも、足を早めた。空気のいいのは薬だといい、けれどもこんなに腹コが空いては節米に適わぬとて笑うのだった。

「また、今朝もとろろよ。さっき、おかみさんが一生懸命で摺り粉木をまわしていましたよ」
「とろろに明けてとろろに暮れるだべしちえ」

 二人はクツクツと笑いあった。

 季節はもう春だった。二人にもおだやかな日々が近づいてくる予感がした。

先きに宿へ帰っていた姑は、掃除のすんだ部屋の炉端で茶を喫んでいた。
 裏の藪から鶯の声が聞えてきた。
「おかあさん、鶯よ」
 きこえないらしい。
「おかあさん、鶯が啼いていますよ」
 姑は茶碗を口にあてたなり振り向いて、
「ほんとに、いい按配のお茶ッコだしてえ」
 と、うなずいてみせた。
 清子はそれなり、鶯のことにはふれなかった。


 この本は著作権がきれていますからネットでも全文読むことが出来ます。
 『茶粥の記』

参考(日本文学関連のブログです)
 旅先のポートレート
 夏目漱石の永遠の恋人
 この世は巡礼である