久世光彦(くぜ・てるひこ)さんの『向田邦子との二十年』を読んでいます。並行して向田邦子さんの『父の詫び状』も読んでいます。どちらもホントにおもしろい!不思議なのは同一人物が書いているんじゃないかというくらい、文章の惹きつけ方や読後の充実感が同じなんです!
文学者といえば小説家とか詩人を連想します。シナリオライターを文学者と思う人はあんまりいないでしょう。テレビやラジオドラマの脚本ですから、主役がそちらで脚本は裏方みたいに扱われがちです。
でもそれは違う!ということを実に感じる本を今読んでいるのです。なんと上手で魅力的な文、とても面白いエピソードがいっぱい・・・そしてホロリと泣ける場面の数々、夜中に読んでて笑い声を上げてしまう話もいっぱい・・・
全然きどらず、私たちの身近な人々の生活の機微をスナップ写真のように切り取って、ホットさせたりアレッと思わせたり・・・。シナリオライターというか放送作家は「ご近所文学者」という名がふさわしいな、と思いました。
向田さんの実の弟みたいと自他共に認めていた故久世光彦さんの『向田邦子との二十年』から、ほんのちょっと創作の舞台裏をのぞいてみます。
あの、快活で知的で温かく、でもどこかに哀しい思い出をそっとしまっているような向田さんの姿が目に浮かびます。
(前略)
万年筆のほかに私が向田さんに奪われたものといえば<話>である。私のした話を脚本の中で使うということである。いつものように二人で馬鹿話をしていると、突然真顔になって「いまの話、ちょうだい」というのがよくあった。会話に著作権はないのだから、黙って使えばいいものを、律儀に断るところが向田さんらしい。と言っても、あまり上等な話を私がするわけがない。
たとえば、日の丸の旗はデパートの何売り場に行けば売っているからとか、銀座界隈のデパートで、一日中地下の食品売り場を流して歩く有名な婆さんがいて、試食品という試食品を軒並み食べ歩いているという話とか、草野球でセカンドへ盗塁した奴が滑り込んだ拍子にコンタクト・レンズを落としてしまい、敵も味方もセカンド・ベースに集まって地面に這いつくばって探しているうちに、グラウンドの使用時間が切れてしまった話とか、まったく文芸的ではない話ばかりだったが、向田さんはそんな下らない話に限って欲しがった。
そしてしばらくして放送された彼女のドラマを見ると、その話がなんともうまく、おかしく、ときに物悲しく使われていて感心するのが常だった。
見るからにいい話というのは嫌いだった。粗忽(そこつ)で馬鹿まる出しみたいな話で下世話に笑わせておいて、最後のワンシーンで嘘のように洒落て幕を引いてみせる手際は、熟練の泥棒のようにみごとなものだった。向田さんは身軽でかわいいおしゃれ泥棒であった。
(後略)
まったく久世さんの言うとおり!というか久世さんの文章もそうですが、お二人とも必ず最後でホロリとかウフッ。
「読み終えるのが残念」という本は、どんなジャンルでも名作ですね。
おまけにもう少し。
・・・ある日台本をもらったら、いろいろといつものようにメニューが並んだ最後に<ゆうべのカレーの残り>と書いてあった。これにはみんな感心した。貫太郎さんも婆さんも、「そういうの、あったあった」と懐かしそうである
・・・自分のことを棚に上げる名人の向田さんは、他人の文字についてもいろいろとうるさかった。字の品格は、その人の人格に一致するとか、下手でも教養は文字ににじんで出るものだとか、だいたい自分に有利な発言だったが、あの人がいちばん好きだったのは、先だって亡くなった中川一政画伯の字だった。二、三枚買って部屋の壁にかけていた。「私、あの人の字の方が好きなの」とよく言っていたが、それは嘘で、絵の方はとても手が出なかったのである。しかし、確かにいい字だった。・・・