時代とともに「肩書き」も変わっていきます。江戸の昔なら「家老」とか「○○見廻役」とか。今は「社長」とか「部長」とか。これからはどうなるでしょうか?
「ご職業は?」と聞かれて、「『働き方研究家』です」とはびっくりしました!こんな肩書きこそこれからの時代に求められるのではないでしょうか。
その人の名は「西村佳哲」さんです。
朝日新聞12月10日号の記事です。
――「働き方研究家」を名乗るきっかけは?
自分の肩書を考えるようになったのは、会社を辞めて自分を説明する必要に迫られてからです。「西村君、何がしたいの?」と聞かれてしどろもどろになって。31歳の時にデザイン雑誌での連載を始め、そこで使ったのが働き方研究家です。初回だけはワークデザイン研究家で、2回目から働き方研究家。肩書きをつくったところで、自分を説明できるわけじゃないんですけど。
全文はこちら→働き方研究家.docx
「新しい肩書き」、私は全部に「デザイナー」って付けたらどうだろう、と思っているんです。
社長:「経営スタイルデザイナー」
企業コンサルタント:「仕事の仕方デザイナー」
政治家:「社会つくりデザイナー」
学校の先生:「人間つくりデザイナー」
医者:「健康つくりデザイナー」
農家:「自然生活デザイナー」
工場管理者:「効率調和デザイナー」
母親・父親:「幸せ生活デザイナー」
営業マン:「売り買い調和デザイナー」
こうしてすべての職業に「デザイナー」がつくと、何かが変わった、と感じませんか?私は自分であれこれ名付けながらこんな印象を持ちました。二つあります。
1.どのような仕事、職業であれ、経営していようが使われていようが、すべて一人一人の「自営の仕事」に変わった。
2.「効率一辺倒の仕事」とか「私たちの幸せにつながらない仕事」とかは無意識に避けたくなった。
「デザイン」という言葉自体がとても力のあるすばらしい言葉だからでしょう。「デザイン」=「意匠」という言葉を私流に解釈すればこうなります。
「快適の創造」=人間にとってもっともふさわしい形を、人間の叡智を傾けて創り出すこと。
私たちの仕事はすべて「デザイン」であるべきなのです。経済家、科学者、芸術家、生活者の区別など元からないのです。
考えてみれば人はすべて「人生のデザイナー」です。
なのに、いつのまにか「デザイン」を忘れたり、他人に任せきりにしたり、「デザイン」の大切さを過小評価してしまった結果が今の社会のひずみを生んでいると私は思うのです。
参考
みんな自営のサラリーマン