「お金がないと生きてゆけない」とか「そうは言っても仕事(会社)が・・」とか「国が明確な方針を示すべきだ!」といった言動を強く示すのは私たちオヤジ世代らしいです。。。
「働き方研究家」西村佳哲さんの本『いま、地方で 生きるということ』には私たちオヤジ世代に耳の痛い言葉が書かれてありました。
何となく私もそんな気がするな〜。ということで紹介します。
インタビューの場所は、わが宮城県の明治村と呼ばれ「ひとめぼれ」の米どころでもある登米町(とよまちょう)にある田園カフェ「GATI」です。
店主柴田さんへのインタビューを終えた西村さんはこんなことを書きました。(読みやすいように見出しを付けました)
稲作を中心とした農耕文化を長く営んできた日本人には、土地に根を下ろす感覚が強いと言われてる。
けど、国策であったにせよ、満州に移り住んだ人々のことや、ブラジルやハワイへの移民、人が暮らしていない山奥の土地を開墾してきた昔の人々のことを考えると、いざ必要となればたとえ日本人でも土地を離れて動く人は少なからずいるはずだと思う。切実な状況があれば。
むしろ「働きたいけど動けない」というメンタリティーは、僕らの親世代のそれなんじゃないか?
動けない(動かない)自分たちの気持ちを、日本人の土着性をひいて正当化しているんじゃないか。
そのさらに年上の、この世を去りつつある世代のお爺ちゃんやお婆ちゃんたちは、話を聞いているともっと自在に動いて生きてきた感があるし、国や行政の力もそれほどあてにしていない感触がある。
年下世代のほうがたくましい
「お金がないと生きてゆけない」とか「そうは言っても仕事(会社)が」とか「国が明確な方針を示すべきだ」とか「行政の指示を待って」といった言動を強く示すのは、高度成長期からバブルの頃働き盛りだった僕らの親世代で、年下の世代は年齢が下がれば下がるほど、他人やシステムに期待する前にとっとと自分でできることから始める人が多いように見える。
う〜ん、実に考えさせられます。私もこのとおりだと思います。
西村さんがそのように思うきっかけとなったカフェ「GATI」の主、柴田さんの話を聞いてください。
櫻井と、毎年「農Music農Life」っていう、田植え・稲刈りと音楽のイベントを企画してるんです。(カフェの)お客さんやミュージシャンと田植えをして、夜はライブをしたり。ライブを前夜祭にして、翌日刈り取りをしたり。
そこに80歳前ぐらいの恒例の、本当にラストサムライ、ラストインディアン、ラスト農家みたいな人がいて来てもらってるんだけど、彼は何も使わずに身体ひとつですごいものをつくる。
ーーすごいもの。たとえば?
「縄(なわ)ない」ってわかります? しめ縄を藁から編んでいくんです。ワークショップをやってもらったんだけど、スキルと完成度がとてつもない。
手刈りをしていた世代で、むしろそっちの方が長いと思うんですけど、見本でちょっと見せてくれる身のこなしだとか、肉体的にもう全然俺らより上。格が違うんですよね。もう笑ってしまうくらいすごくて。
形は違うにしても、そういうふうになりたいんです。
そのお爺さんは詩も書くし、踊りもやっていたし、自分の感性で工芸品もつくっていて、なんだかものすごく豊かなんですよ。ほんとに僕らが目指しているものが集約しているというか。
自分でつくり出して、遊んで、食料もつくって。しかも技術は高くて、人に喜ばれることができる。もう「すげぇなあ」と。
どこにも依存していない。本当に自由な感じがして。どこか違う国へ行っても、この人は何かできるんだろうなって。
この章の最後は柴田さんのこんなつぶやきで終わっています。
移民にせよ開拓にせよ、動いていた世代の人たちは「やらざるをえない」からやっていたと思うんです。移り住むということを。
人生のある時期を、国境を越えて暮らしていた経験を、普通に話してきかせてくれる人は多い。
ーー(一昨日雄勝の漁村で会った漁師のおじさんも、尋ねたわけでもないのに、彼がアフリカで一本釣りの漁船に乗っていた時期のこと。そこで見たアフリカの貧しさの話をきかせてくれたな)
でも今はなぜか、なかなかそういうわけにはいかない。正確に言うと、いかない人が多い。
今の方がよほど動けそうな気がするんですけど、そうはならない人が多いのはいったいなぜだろう?
ひとりで何でもできる能力よりも、たっひとつの技能だけを身につけ専門化することをよしとされた私たちの時代。
難関の学校に入って、すでにできあがった大きな会社に入ることが目的のように思わされてしまった学校時代。
いつのまにか自立性を喪失し、会社の一部品に化してしまったかもしれない私たち。
たくましさを取りもどさねばならないのは私たち自身だと気づかされるインタビューでした。