スーパーマンの涙

 クリプトン星から来たスーパーマンのことではないんです。現代人である私たちは江戸から見ればスーパーマンだという話です。しかし同時にかわいそうな・・・。27年前の杉浦日向子(ひなこ)さんのエッセーに共感です。
 私の変人facebook仲間が、今年「やるぞ!」と宣言しました。「なつかしい未来」というプロジェクトです。何をするのか全然決まっていないようですが、名前だけ最初に付けた、というか付いたそうです。私も変人仲間ですから一緒に何かやらかすつもりです。

 さて「なつかしい」とは何か?なぜか?

 それを探ることこそ、このプロジェクトの「キモ」になることでしょう。「キモ」さえあれば、プロダクトやコンテンツは次々に生まれてきます。ビッグダディーのお子さんたちのように(笑)

 私のブログもそんな「キモ」探しの探検記ともいえます。

 今日はいつもの日向子さんから、新しい「のぞきメガネ」をもらいました。

 この「のぞきメガネ」で江戸時代を、あるいは江戸時代から現代をのぞいてみたいと思います。ノスタルジアの理由(わけ)を知るために。

杉浦日向子著「大江戸観光」より

スーパーマンの涙 

 こんな話を聞いたことがあります。

 三五年間、勤めあげた会社を、退職した日、帰宅途中の電車の窓から、数十メートルにわたって咲き乱れているゲンゲが見えた。「線路脇に、こんなに花が咲いているなんて」と、その時初めて気が付いた。

 勤めている時は、車窓の風景など、見えなかったのだそうです。なにか、しみじみとする話です。

 季節の移り変りも忘れるほど仕事に打ち込んでいた、というのは、美談のようですが、少し、淋しい気がします。

 私は、江戸時代が専門なので、なにかにつけて、江戸のくらしと、現代のくらしとを、比べてしまうクセがあります。

 江戸の人が、われわれの生活を見たら、仙境(仙人の住む理想郷)だと思うかもしれません。

 ひねるだけで水の出る水道ひとつにしても、どれだけうらやましく見えるでしょうか。

 私達は、こんなふうに、江戸の人々にとっては「奇跡的な便利さ」を、あたりまえのこととして、暮らしています。

 たしかに、現代は、奇跡の時代です。

 たとえば、東京から大阪まで新幹線で三時間、江戸時代なら、一六、七日はかかるところです。なんと、一三二倍ものスピードです。

 週に三日、東京−大阪間を往き来するビジネスマンはざらです。が、江戸の人では、一生に一回、あるかないかの体験でしょう。

 仮に、現代人が、一生のうち千回、東京−大阪間を往復するとすれば、江戸人の一千倍です。

 私達は、江戸時代の百倍・千倍もの行動力を持っています。江戸人から見れば、スーパーマンです。

 けれど、体の機能は、江戸人の百倍・千倍も向上したわけでほなく、情報処理能力も、寿命も、ケタ違いとはいきません。

 寿命は、三百年前より三十年ものびましたが、この程度では、ニケタ・三ケタ違いの行動半径、情報量に追い付くはずもありません。

 結局、私達は、江戸から比べると、百倍・千倍も薄まった時間を生きているような気がします。

 十六日間かけて、一生に一回大坂見物に行った江戸人と、三時間で千回行った現代人の二人に、紀行文を書いてもらえば、その違いはわかると思います。

 つまるところ、ほんとうに、人間らしい生き方というのは、生物機能に見合った生活規模内にあるものなのでしょう。

 歩く速度でものを見、考える。江戸時代の生活速度は、人間の機能にかなっていました。

 時速数百キロの速度で、空間を移動するなどとは、生物として考えられないことです。それを、日常茶飯にしている怖さを感じます。

 江戸人が一生かけてやった仕事を、たった数カ月でやってしまう私達。江戸人の、百人分の人生のダイジェストだって演じられる私達。

 ありがたいようで、便利なようで、豊かなようで、そのじつ、江戸人の百倍も千倍も哀しいスーパーマンは、線路脇のゲンゲに涙するのです。

 巨大な現代社会において、江戸の生活速度は、とても、通用しません。

 が、せめて、身の回りの景色が見えるくらいのスピードダウンは必要だと思います。

 二十世紀は生産と行動の時代、たぶん、ニ十ー世紀は抑制と思慮の時代・・・優しい世紀の到来にしたいですね。

 (「就職ジャーナル」一九八五年四月)


 日向子さんも5年間過ごされたこのニ十ー世紀は、残念ながらテロや戦争から始まりました。

 ニ十ー世紀の第一コーナーへとさしかかりつつある今、日本では3,11の大災害、放射能の恐怖、世界も大災害やら経済恐慌の不安やら・・・

 まだまだ多くの人の考え方も、二十世紀の延長上にあるようです。

 つまり科学盲信主義、効率絶対主義、人間の傲慢病と、人類のはてしなき増殖願望を抑制するブレーキはまだまだ不十分のようです。

 過去(たとえば江戸時代とか)を既に過ぎ去った価値のないもの、現在は過去より必ずすぐれている、というような直線的な時間感覚では転換が難しいでしょう。

 時間の縦軸を”ググッ”と横軸にして、すべての時代を「今ここに並行してある」というイメージの枠組みにしなければ、人はただの「鉄砲玉」であることでしょう。

 鉄砲玉は飛んでいるだけならいいが、当たったものを破壊するので人類以外にはとても迷惑なことです。

 「なつかしき未来」の「キモ」には、「時間を横軸にする」荒わざをこなせるような脳みそのストレッチが必要のようです。

参考
 江戸のベンチャービジネス
 江戸へのタイムトラベラー
 杉浦日向子の「ケータイ観」
 夏祭り、浴衣、江戸の町
(貧・望太郎の冒険シリーズ)
 貧・望太郎の冒険 完結編 
 貧・望太郎の冒険その4
 貧・望太郎の冒険その3
 貧・望太郎の冒険その2
 貧・望太郎の冒険その1