愉快な町の「住宅街」

 全く新しいコンセプトの「愉快な町」。中心部に人工的に造る「里山」から、「みんなの場所」にあるユニークな施設あれこれの紹介へと進めてきました。今日はこんな「住宅街」もできるんだ!というワクワクのお話です。

 「愉快な町」のご案内はこれで5回目。だいたい10回くらいまで続くと思うんです。みんなの幸せを育む、まったく新しいコンセプトの町ですからぜひお付き合いのほどお願いします!

 初めての方はこちらからお読みください。
 愉快な町のショップハウス
 愉快な町のヘルプハウス
 愉快な町 その2
 愉快な町 その1

<家には駐車場がない>

 「住宅街」は「みんなの場所」ゾーンの周縁部にあります。だいたい50戸〜100戸ぐらいの住宅街ですね。

 さて、ここの住宅にはひとつとして駐車場はないんです。

 なぜかって?それは子どもやお年寄りが安心して外で遊んだり、歩いたりできるようにするため、自家用車は入れないからなんです。

 そのかわり、町の最外縁部には、多機能管理センター「地域コンビニ」が管理運営する共同駐車場があり、そこと街のあちこちをソフトカーが結んでいます。

<町の中はソフトカー>

 ソフトカーは、人や街と共存できる、いわば、シニアカーを発展させたような特殊な車なんです。 

 以前のブログでその様子を描いたものがありますので抜粋します。
 貧・望太郎の冒険 完結編

街の交通

 街には自家用車は入れない。それじゃ雨や雪の日はどうするのか?足が不自由な人はどうするのか?大きな荷物はどうするのか?

 充電センタにあるソフトカーは住民が自由に使って良い。どこに乗り捨てても良い。定期的に「多機能コンビニ」の係の人が巡回し、連結して充電センターへ戻すしくみだ。

 ソフトカーは街中の各エリアの特性に合わせて時速2キロから30キロまでの範囲で細かくスピード制限がかかる。それをコントロールするのはGPSであり、各道路に埋め込まれたパッシブセンサーである。

 また、それらが壊れたとしても事故を起こさないよう、道路は少し曲げてあったり多少の凹凸があったりするのだ。

 ソフトカーは多様だ。これからも必要に応じてオプションが住民のアイデアで増えていくことだろうが。

 何よりもソフトカーは子どもたちが大好きで、これが交通手段としてだけでなく、子どもを通して隣近所とのつながり作りにも一役買っているのだ。

 一人乗り、二人乗り、それらと組み合わせできるオプションが様々ある。

 二人乗りには車体の縁を出っ張らせて、そこに足を道路側に乗せるようなかたちで気軽に腰掛けられる。荷物も後ろを平らにするか、荷物置き台をのせられる。屋根には雨の時だけ使えるような収納可能な幌が付いている。

 各自動車メーカーも関心を持って視察に来ている。まもなく戦車のような車だけの世界は終わるだろう。

<計画された路地がある>

 道路は曲がりくねり、勾配もあり、さらに路地まであります。

(宮崎駿「トトロの住む家」より)

 路地こそ子どもたちの冒険の場所です。この町ではガキ大将が復活しています。なにやらみんなで、路地で「ワルサ」を企んでるようですよ!

 「愉快な町」には、最初からの「自然」はないんです。わたしたちが「自然」を造るのです。復活させるのです。計画的に。その過程で「自然」が与えてくれたメリットをもう一度思い起こすのです。
  
 町の中心部に造成した人工の「里山」のコンセプトと同様に、街中の路地も計画的に造るのです。失われた自然や地域社会を人工的な力と頭を使って取りもどすのです。

<家のローンなんか心配ない>

 「愉快な町」の「みんなの場所」にはシェア施設がいっぱい!
 
 だから、大きな家は必要ないんです。道路だってわが家の庭。そんなふうに工夫されているんです。

 ということは? マイホームにかけるお金は思いっきり安くすむことになるんです。

 それでも、これから自営していく人は大変。子どもにもお金がかかるでしょうし。

 そんなときのために二つの居住プランも用意されているんです。

 ひとつは「家族向けシェアハウス」

 これは共有部分に重点を置いたマンションです。一般のマンションの半分の負担で済むように工夫して設計されています。

 もうひとつは「モバイルハウス」

(これもモバイルハウス(=トレーラーハウス)です)

 これはそもそも住宅ではなく、車両扱いです。ですからこの家は普通の家と変わらぬ住み方をしていても、駐車しているという扱いです。

 これを購入して駐車したり、これを借りて住んだり、これのオーナーとなったり。

 自分の別荘や、書斎、仕事場、店としても応用できます。この町では多くの人が様々工夫して活用しています。

<いやなら変える、移動する>

 家のローンがあるから。この土地を捨てられないから。仕事に通えないから、子どものことがあるから・・・

 人はいろんなしがらみがあって、この国が自由な国であったにしても、実は何かにしばられっぱなしです。

 もしかしたら変化することが怖いので、あえて何かの理由をつけて、自分で自分を呪縛しているのかもしれません。(かく言う私もそうなので、こんなブログで変化に挑戦中なんですが・・・)

 それが高じると、「一人の人間」であるべきが、ほとんど「社会人の一人」(国の家畜)とか「会社人の一人」(会社の家畜)になってしまいます。

 「愉快な町」は、そのような「囚われ」から少しでも自由になるための町にしたいのです。

 もしも自分の収入に応じて、自由に住居も仕事も選べ、いやなら変える、好きな場所へ移動することが可能だったら、みんなそうするでしょう。

 そんなことをまずこの町の中だけでもできないもんかな〜、という思いでこの町はつくられているのです。