デザインと経営

 昨日「あったかいネット・ギャラリー」のブログを書いたら、自身ブルブルッときて、さっそく実行することにしました。プロジェクトの魂(コンセプト)について今日は頭に汗をかいてみます。

(長女の家の玄関に飾った絵です。数万円ですがけっこう映えます。)

 昨日のブログというのはこれです。
 →「あったかいネット・ギャラリー」構想

 この構想を、私が経営する会社で行うことが決まりました。

 というのは、「デザイン」「アート」「美」というものが、私が思う「本来のしごと」の根幹ではないかと強く感じたからです。

 そんなわけで今日は、構想具体化の前に「デザインと経営」について考えを深め整理してみようと思いました。

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 私は、絵を描くのは下手なんですが、絵そのものは大好きです。一見グロテスクに見える作品にさえ、「美」を感じることもしばしばです。

 考えてみれば、どんな人でも「美」は好きですよね。もちろんその基準は各人で違いますが。

 基準はさまざまでも、「すべての人間は『美』を好む」といってよいのではないでしょうか?

 だから、人間が作るあらゆる形ある商品には、それぞれ「デザイン」が工夫されているわけです。

 それらには、好ましいデザイン、そうでないデザインの両方があります。

 好ましいデザインに出会ったとき、人は「居心地の良さ」「肌触りの良さ」「高揚感」「安心感」「満足感」を覚えます。

 ですから、デザインというものは「快適の創造」といえるでしょう。

 「快適の創造」をもう少し詳しく語ればこうなるでしょう。

 「人間にとってもっともふさわしい形を、人間の叡智を傾けて創り出すこと」

 さらに「創造の結果」だけでなく、「創造の過程」こそが人間にとってもっとも満足することだと思うんです。

 たとえ眉間にしわを寄せて悩み続けたとしても。

 「産みの苦しみ」ですね。

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 会社経営とは何か?

 様々な定義はあるでしょうが、私はこう言いたいと思います。

 「善きことを創造し続ける活動」

 「善きもの」ではなく「善きこと」と書いたのには理由があります。

 「もの」は「商品」だけを連想させますが、「こと」は商品を媒介とした「サービス」や「しくみ」を連想させます。

 「善き商品」ではなく「善き価値」を提供し続けるのが「会社経営」であると思います。

 その価値のリターンが「収益」という「結果」であると思います。

 近年の大きな問題は、「収益」が「結果」ではなく「目的」になってしまった、そのことによる「無理」に多くの原因があると思います。

 「善きこと」を創造し続けるためには、それを生み続けられる「善き母胎」が必要です。

 その母胎こそが「経営理念」「経営方針」

 といえば形式的なので、飾らずに言えば「親父の想い」と「俺たちのやり方」だと思うのです。

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 それでは「善きこと」とは何なのか?

 それは「美」であると思うのです。

 その「美」を具体化するものが「デザイン」であると思うのです。

 ですから経営者は「最高のデザイナー」でなければいけない。

 「美」は人の「感性」に拠るものです。

 なので、デザイナーは「人」に関心が高く、「感受性」が豊かでなければいけない。

 頭脳の「競争性能」などは無意味なのです。

 なぜなら「善きデザイン」とは一品一様、それぞれが独創なので、そもそも競争などないからです。

 現代、創業者以外の経営者はほとんど「競争性能」だけで選ばれているようです。

 それが、かつての名企業を凋落させてしまう要因になっていると思います。

 あの「ソニー」もしかりです。アップルだってどうなるか。

 →SONYと電気座布団

 「善き会社とは善きデザイナーの集団である」

 「善き経営者とは善きチーフデザイナ−」である。

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 「しごと」に「美(デザイン)」はどう生かすべきでしょう。

 「美」といえばミロのビーナスを連想したりしがちですが、そういうことではないと思います。

 「美」とは「心地よさ」「快適さ」のことです。
 
 それを「しごと」にうまく重ね合わせると、「売る側」「買う側」という経済関係を変えることができます。

 どのように?

 「快適さ」を「提供してくれるあなた」と「享受するわたし」という対等の関係へと。

 つまり、経済的な損得関係に陥ってしまった「商売」に、本来あるべき「人間の顔」が取り戻せるのです。

 今や、大きな企業が多くなり、お互い顔も見えないため、「売る側」「買う側」とはっきり分かれ、バランスがとても悪くなっています。

 会社では「はい、申し訳ございません。。。」と消費者に異常に卑屈。

 しかし、家に帰ると豹変「おいこら!お前の会社ではこんなもの売ってやがんのか!」とクレーマーに変身します。

 その原因は、売る側が、みな顔の見えない「会社」というものに代わり、「売り手」であり「買い手」でもあった昔の商い関係が希薄になったせいです。

 その希薄な関係を「人間的な関係」に戻してくれるのが「美(デザイン)」だと思うんです。

 つまり「商い」を、「経済価値」ではなく、「人間価値」にレベルアップできるということです。

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 具体的にどんなことをしていこうか?

 それこそ「独創」です。

 ただし、確実に言えることは一つあって、ものごとをよくしたい場合は「一つ上の階層」で考える、ということです。

 私は考え方の階層をこんなふうに考えています。

 それは「会社人」<「社会人」<「人間」<「生物」という階層です。

 これは次のように書くことも可能でしょう。
 
 「会社人」=利益・経済
 「社会人」=政治・法律
 「人間」=個人・家庭・地域
 「生物」=生命・地球

 「会社人」「社会人」の問題を改善しようとする場合は、一つ上の「人間」という階層で考えてみるべきと思っています。

 「人間」という階層でこそ「美(デザイン)」は有効なのです。

 なので、あらゆる「しごと」に「個人・家庭・地域」における共感を織り込んでいくのがよいのです。

 それは、今生産している、販売している商品やサービスそのもののアピールではなく、それとは直接関係ないが、みんなが共通に感じ合える場所、その新しい出会いの場所を作っていくのが良いと思うのです。

 →人間の香りがする会社

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 私の会社は、建設業のユーザーが多いので、こんなことをイメージします。

ある日のユーザー

 レッツ(私の会社)のサイトに「あったかいネット・ギャラリー」があった。

 そこには、心を癒す、すばらしい作品、ほのぼのとした作品が展示されている。

 ふと、新築したあの家の居間にこの絵を飾りたい。。。と思う。

 そんなことも建て主に教えてあげたり、プレゼントしたらどんなに喜んでくれることだろう

 そのような売買も仲介してくれるらしい。手ごろな価格で。しかもユニークな社会貢献のしくみに乗せて。

 日々更新されるギャラリーに通えば通うほど、その考え方に人間的な親しみがわき起こってくる。

 「いいしごと」をしていると思う。

 この会社のしごとはきっと、「人と人との心をつなぐ」ことなのだろう。

 さ〜、ここから出発。無理せず、ゆっくり進めていきたいと思います。善きパートナーたちと。

 →絵画の贈り物
 →みんなの誕生日