現代の「方丈記」

 方丈の庵を結んだ鴨長明。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」と聞けば、高校の古典の授業を思い出します。方丈の間とは四畳半くらいの広さだそうです。人が住むのに一体どれほどのスペースが必要なのでしょう?

 私の家は子供達もみな巣立って今は夫婦二人暮らし。ところが、住む人数が減っても、ちっとも広すぎるという感じがしません。六部屋もあるのに。。。父の家もそうです。やはり六部屋もあるのに一人暮らし。

 私たちは、慣れると広いのが当たり前で、今までよりも狭くなると圧迫感を感じてしまうようです。どれだけ広い家に住んでいても。

 数日前、原子力潜水艦ミシシッピーの艦内写真が新聞に載りました。(今の時期、原子力と聞いただけでヒヤッとしますが。。。)潜水艦の中ではとても広いほうらしいのですが、それでもベッドは三段、長さ190センチ幅が80センチくらい?でした。

 私が通っている床屋のご主人は、東京での修業時代、住み込みの部屋は十畳間で、そこに10人寝ていたそうです。

 いったい、わたしたちにはどれくらいのスペースがあれば足りる(はず)なのでしょうか?

 大量に電気を使うのが当たり前になり、そこから抜け出せなくなったと同様に、住居の方も快適さを求め続け、どこまでも広さを追い求める傾向から抜け出せなくなっているのではないでしょうか?

 それでも、土地やお金が存分にあれば何も問題ではないでしょうが、現実はいちサラリーマンが3千万も4千万も借金を抱え、「家」のために人生を歩んでいるといっても過言でないような社会。。。

 これじゃ会社がどんなことをしていても、降格や失業が怖くて何も言えない。「人間」としての自由がとても乏しい人生になっていると思います。

 そんなことを不思議に思って様々な生活実験をしている方がいます。驚くことにその方は建築設計士でもあります。

 以前、「みんなの独創村」でも紹介したことがあります。

 →「年三万円生活」ホント?

 その彼が、またまた新しき挑戦です。

朝日新聞 2012.6.18

坂口恭平「カネのため人生捨てるな」 出版・映画次々

 建築家、作家、現代美術アーティスト、それに“独立国家”の初代首相……。書いていて正体が分からない希代のパフォーマー、坂口恭平(34)の出版・映画が相次いでいる。

 坂口本人を追ったドキュメンタリー映画が30日から公開される。

 坂口は河川敷のホームレスに教えを請い、移動式の簡易家屋(モバイルハウス)を設計する。ホームセンターで買い揃えた2万6千円の材料で建てる2畳半ほどのベッド付きワンルーム。小さな車輪がついて、移動可能だ。ドキュメンタリーで坂口は、東京・吉祥寺の駐車場に“家”を持ち込み、友人と新築祝いの宴を開く。デリバリーのピザを注文すると、驚き顔の店員がそれでもちゃんと配達してきて、「登録したので今後もごひいきを」とお愛想を言って作品は終わる。

 「35年ローンで家のために労働するとか、本当にしたい仕事をあきらめ家賃のため賃労働するっていうのが、納得いかん。選択肢を増やす、もう一つの場所を作りましょうということ」

 5月公開の映画「MY HOUSE」は、坂口の著書が原作。ホームレスの人々と、勉強漬けの中学生らとの交錯を描いた。娯楽映画のヒットメーカー堤幸彦監督が「本当に撮りたい作品」として自ら企画した。

 「もう一つの場所作り」は、“国造り”にも発展している。その記録が5月に出た新刊『独立国家のつくりかた』(講談社現代新書)だ。発売後すぐに3刷、5万部と売れている。

 熊本市内に古民家を利用して拠点の「ゼロセンター」を設け、原発事故以降、東日本から逃れてきた数百人の避難所にした。それが「新政府」だ。毎日ツイッターに原稿用紙40枚分以上書く“パフォーマンス”で、カンパが集まる。

 「憲法に『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』とある。でも、生活苦で死ぬ人が事実いる。国民を守れないなら国じゃない。だから自分で新政府」
 敷地にモバイルハウスを置き、家賃、食費、電気代など限りなくタダに近い生活モデルを実地に示す。

 「資本主義を否定しているわけでも、反政府運動をしたいわけでもない」という坂口は、「たかだかカネのためだけに、人生を捨てるな」とアジる。

 鬱(うつ)気分が定期的に現れ、昨年末は自殺まで思い詰めたというが、坂口はそれさえ逆手に取る。「鬱が起点になる。レイヤー(ものの見方)を変えろ、脳から汗が出るほど考えろ」

参考
 ユニークなドームたち
 現代のロビンソン・クルーソー
 手のひらに太陽の家
 気仙沼のトレーラーハウス