天野祐吉さんの小さな抵抗

 新聞コラム「CM天気図」を私は愛読しています。広告クリエイターでコラムニストの天野祐吉さんが書いています。旬のCMをネタにして、切れ味よくスカッ!と読ませてくれます。実はそのコラムで、彼は「あるもの」と闘ってもいるのです。

 こんな闘い(抵抗)もあるんだな〜と共感します。

 彼が闘っているものとは「ゲンパツ」です。

 朝日新聞の週一コラム「CM天気図」は、昨年の3.11から内容に少し変化が生じました。

 天野さんは昨今のCMについてあれこれ書きながら、「オチ」のほとんどを「ゲンパツ」問題にむすびつけているのです。もちろん反対の立場で。

 たった数行の婉曲な表現。小さな抵抗かもしれません。

 しかしゲンパツ再稼働が軒並みになってしまいそうなこの頃、天野さんのような「小さくても持続する抵抗」はとても大事だと思います。

 私たちは決して「脱原発」への道をあきらめず、「戦い」を「闘い」にかえて、一人ひとりができる抵抗を続けていくことが、今とても大事だと思うんです。 

 「それしかできないから」ではなく「それだったらできるから」と思いながら。

 それでは、今朝の「CM天気図」から。

2012年7月4日〈CM天気図〉くらべて選ぼう
 
 ところで、マチのうわさでは、近々選挙があるようで。こんどの選挙こそ、歯の浮くようなスローガンや似たり寄ったりの公約はいっさいやめてほしい。で、政党や候補者を選びやすいような比較広告形式でお願いしたい。

 今回とくに重要なのは原発に対する態度の表明で、たとえば脱原発の候補者は白ハチマキ、推進派の候補者は赤ハチマキをしめるようにしてほしい。ま、どっちつかずの人は玉虫色のハチマキでいいですけどね。

 過去のコラムからも抜粋していきましょう。

2012年06月13日(CM天気図)こわいよう

 そんな困った恐怖アピールの具体例として保険や薬の広告を探していたら、なんと、身近なところにりっぱなサンプルを見つけました。先日の記者会見で大飯原発を再稼働すべきだと表明した野田首相のお話がそれです。

 これは、80年代の新聞にしばしば掲載された政府や電気事業連合会の原発PR広告と、まさに好一対の見事な恐怖アピールの事例になっています。各自ご検討を。

2012年05月30日(CM天気図)“吹き替え”と“書き替え”

 その点で、ミライースのこのCMは、吹き替えのウソを自分からあばいて見せているところが面白い。こういう吹き替えはいいけれど、内閣府の原子力委員会が推進派に都合よく報告書案を仕立て直したような、そんな書きかえはぜったいに許せないね。

2012年05月02日(CM天気図)源内さーん!

 たとえば原発の再稼働だ。連休を利用して被災地へのボランティアツアーに出かける人がいるというのに、政治の世界では脱原発なんてことはだれも言わなかったみたいに、再稼動の動きがシュクシュクと(?)進んでいる。

 ・・・CMの世界も同じだ。CMを見ている限り、この国には原発の事故も大地震や大津波もなかったんじゃないかと思えるくらいだ。別に暗い顔をすることはないが、新しい暮らしの糸口を感じさせるようなものがほとんどない。

2012年04月18日(CM天気図)言いわけ無用

 近ごろの若いモンは、言いわけが多い。明らかに間違っているのに、素直にそれを認めず、ナンダカンダと言いわけをする。そんな言いわけばかりしていて、いいわけないじゃないか。

 と思っていたが、ちょっと前まで「大飯原発の再稼働には反対」と言っていた大臣が、急に賛成に変わって、そのわけは資料をよく見たら「おおむね安全」だとわかったんだそうな。おいおいもしもし、大臣までそんなへたな言いわけをしているようじゃ、若いモンのことは言えないよな。

2012年02月01日(CM天気図)顔は広告だ

 いまは「日本の再生」が待ったなしの切実なテーマである。が、テレビに出てくる政治家たちの顔をいくら見ていても、原発に依存しない、成長にこだわらない、これからの暮らしを語るようなメッセージは、まったく見えてこない。ユニクロやコンビニで買い物をしたり、Suicaで電車に乗ったりすることなんて、まるでなさそうな顔ばかりだ。

2011年10月19日(CM天気図)「ふつう」の発見

 そう、ぼくらのふつう感覚は、かなりおかしくなっている。国民の1%が大金持ちで99%が貧乏人だという世の中なんて、だれが考えてもふつうじゃない。こんなせまい国に54基の原発がひしめいているなんて、どう考えたってふつうじゃない。が、それがついふつうのように思いこまされてしまうふつう感覚って、かなりおかしいんじゃないだろうか。

2011年09月07日(CM天気図)「いい国」ってどんな国

 が、その原発が今度はこの国をめちゃくちゃにした。で、「いい国つくろう、何度でも。」ということになるのだが、いまもこの国のエライ政治家の中には、情勢によっては日本も核兵器をつくることができるように、原発は維持していく必要がある、なんて懲りないことを言っている人がいる。

2011年08月24日(CM天気図)いい加減にしなさい

 と、いまあらためて思うのは、むかし政府や電力会社が原発の安全性を宣伝していた新聞広告。これから原発をめぐる議論がさかんになると、あのテの広告が衣装を変えて、またぞろ始まるんじゃないかという気がする。

 新聞の広告欄が新聞社の私物でなく、誰にでも開放されている広場であるのはいいことだ。が、原発問題のような国論を二分する重要なテーマでは、一方が広告を出したらもう一方の側の反論権を認め、同じ大きさのスペースを無料で提供するというような配慮をしない限り、新聞社はその広告を掲載してはいけないし、広告会社も関与してはいけないと思う。

2011年8月3日(CM天気図)ワルガキでいい

 「おれたちがガキのころ、クーラーがなかった。頭も悪かった。ケータイもなかったけど、ファンタはあった」
 ・・・ためしに、そのコピーの「ファンタ」の部分を「○○○○」と伏せ字にしてみる。と、逆にあのころはあったのにいまは失ってしまったものが、あれこれ思い出されてくるのだ。

 そう、いまはクーラーを買い、頭もよくなり(?)、ケータイも手に入れ、おまけに原発までたくさん持つようになったけれど、代わりに何か大切なものをなくしてしまったんじゃないか。

2011年7月6日(CM天気図)明るい節電 

 節電はいま、世間の大きなテーマの一つである。企業もいろいろな知恵を出して節電につとめているし、家庭でもそれぞれに節電努力中だ。うかつに悲鳴をあげると「やっぱり原発が必要でしょ」という人の術中にはまってしまうから、ここはがまんのしどころ、知恵のしぼりどころだ。

2011年6月7日〈CM天気図〉カゲキとユーモア

 まさかぼくらの家庭には、爆音を立てるレンジやCO2を吹き出すコーヒーメーカーはないだろう。が、おかしなことがまわりにあるのに、それに気づかなくなっているようなことは、けっこうありそうな気がする。

 いつのまにか原発がこんなに増えているのに、それをあまり異常とは感じなくなってしまっていたように。

参考(天野祐吉さん関連)
 「負けるもんか」というCM
 ジョブス・モモ・ジュダイ
 ゆでガエル現象への警告