母の十三回忌が無事終了しました。東京にいる下の娘は6時間かけて車で帰り、こちらも無事到着とメールが届き安心しました。久しぶりに娘と話したのは「ブログの効用」についてでした。
(昨日みなで見てきた鬼首の間欠泉です)
昨年の5月以来、私はブログを書き続けています。
休日以外毎日書いているのですが、前回で365作書き続けました。
誰かに読んでもらっている、と思って書くことが励みになっています。
しかし、毎日休まず「修行」と思って書いているので、時々は自分でも読み返すのが厭だなと思う文章を書いてしまうこともあります。。。
そんな品質ばらばらな「わがブログ」を読んでくださる皆さんには、本当に感謝です。
ですから私も人様のブログは丁寧に読もうと心がけています。
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東京に住んでいる姉や娘も、私のブログをたまに読んでくれているらしく、一昨日の母の十三回忌ではこんな話も。
姉から「なおちゃん(孫)も大きくなったね。ブログの写真で見たよ」
これはまさに手紙のような効用でいいんですが、娘からはこんな言葉も。
「おとうのブログは読むのしんどいな。やたら引用が多くてさ。文字の色が変わって引用に入るともう読む気しない」
と、辛辣、且つなるほどな口舌コメントも寄せられました。
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私は「五年日記」も10年間付けていて、さらに社会人になってから37年間ずっと手帳にもあれこれ書き続けています。
でも、ブログと個人日記や手帳はあきらかに効用が違いますね。
手帳や日記は人に見せないので、ほんとに備忘録。
娘たちも、私に少しだけ感化されて付けているらしいんですが、聞けばほとんど「お天気情報」だけらしいです。
ところが「ブログ」っていうのは「人様に読ませる日記」、いうなれば「文学」に近いと思います。
もちろん、駄作、佳作、傑作いろいろあるでしょうが。
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在野の哲学者内山節さんは、『戦争という仕事』という本でこう述べていました。
「古来より日本人が満足を感じる仕事には三つの要素が含まれている。それは『修行』『貢献』『創造』である」と。
私はブログを書くということにも、これらの三要素が入っているように思えるのです。
自らの脳みそを絞り出し日々書き続けようとする「修行」の心。
善きもの、美しいものを紹介したい、(自分がそう思う)間違いをみなに知らせたいという「貢献」の心。
自己満足に過ぎないが、表現、創作の喜びを感じたいと思う「創造」の心。
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さて、なによりもブログを書いて自分が「よかったな〜」と思うのは、「自分の頭が活性化した」ということです。
私事になりますが、米寿の父は頭も体も年々衰えが目立っています。
寄る年波には勝てないので当たり前なんですが、十三回忌の懇親会で温泉旅館への行き帰りの道中や旅館の中、父の話をみんなで積極的に聞いてあげたら、父は活気を取りもどしてきました。
このように、人は「出力」すると、タンクに停滞していた水が流れだし、代わりに新鮮な水が入って気持ちが清々しくなるようです。
私がブログを書いていて感じる最大の効用は、この「循環」のことです。
「循環」がよくなると「論理力」「表現力」「記憶力」「想像力」が上がってくるようで、それが日々自分で実感できるようになってきます。
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帰郷した娘に、私はこんな話をしました。
「出力」しなければ「入力」できない。
「入力」しているように思っても、「出力」がない「入力」ならそれは「あふれている」にすぎない。
「書くことがない」とか「思い出がない」とかいうが、それは「出力」しなかったから蛇口が錆びて出にくくなっているだけだよ。
だれでも、「出力するもの」はたくさん貯まっているんだ。
それを出力するのは最初とてもしんどいが、水が流れ出すと次々と新しい水が入ってきて気持ちいいんだ。
だから出力する「修行」って楽しいのさ。
娘は「ふ〜〜〜ん」と、また「おとう」のクドイ話がはじまったという顔をしていました。
参考
読書について