『暑さも寒さも彼岸まで』であってほしい。。。でも間違いなく秋は近づいているようです。とても『詩』を読みたくなってきたので。
私の大好きな「茨木のり子」さん。岩波ジュニア新書に『詩のこころを読む』という彼女の本があります。
彼女が心惹かれた「詩」を読んでいると、彼女の詩を読んでいる心持ちになってきます。
この本の『はじめに』は、このような書き出しで始まっています
「いい詩には、人の心を解き放ってくれる力があります。いい詩はまた、生きとし生けるものへの、いとおしみの感情をやさしく誘い出してもくれます。どこの国でも詩は、その国のことばの花々です。」
それでは、この本の中から一篇の『詩(うた)』を聴いてみましょう。
鳩 高橋睦郎
その鳩をくれないか と あのひとが言った
あげてもいいわ と あたしが答えた
おお なんてかあいいんだ と あのひとがだきとった
くるくるってなくわ と あたしが言いそえた
この目がいいね と あのひとがふれた
くちばしだって と あたしがさわった
だけど と あのひとがあたしを見た
だけど何なの と あたしが見かえした
あんたのほうが と あのひとが言った
いけないわ と あたしがうつむいた
あんたが好きだ と あのひとが鳩をはなした
逃げたわ と あたしがつぶやいた
あのひとのうでの中で
詩集『ミノ・あたしの雄牛』より
茨木のり子さんの感想が続きます。
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作者が二十代で若かったとき、そして読者の私もまだずっと若かったとき読んで、好きになった詩ですが、いま読んでも少しも照れくさくありません。照れくさかったり、むずがゆくなるのはダメな詩で、特に恋唄のばあい、それがはっきり出ます。
女の子の立場で書かれていますが、「鳩」は一種の小道具で、二人で鳩をいじっているうちに、話は気持よくリズミカルに進んで、気がつけば鳩は自由の彼方へ---そして二人の心が無理なく寄りそう過程がいきいきと描かれて、このほほえましい小さな恋人たちを祝福したくなります。
ちょっと気になるのは、男の子の発する「あんた」という言いかたです。「あなた」ではこの場合、そらぞらしいかもしれないし、「おまえ」ではすでに我がものとなったようだし、「君」だったら一番びったりだったのではないでしょうか。ふだんの会話で、男の子が「君」といえば爽やかに聞こえるのに、女の子が「君!」と呼びかけるのを聞くと、ちょっと耳がざらつく感じがあります。
それなのに短歌などで「君」と文語的に使えば、ひどく床しい気配が立ちこめて、まるっきり変わってしまいます。
日本語の二人称はややこしくて、You一つで済ますわけにはいきません。話しことばでも、書きことばでも選択しなければならず、黒田三郎は「あなた」、安水稔和は「君」を選んでいました。
「あんた」はちょっと見下げたようなニュアンスを感じるのですが、地方によっては「あなた」と言っているつもりで「あんた」になっている所もあり、これはこれでいいのかもしれません。
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参考(茨木のり子さんの詩を引用してあるブログです)
茨木のり子「木は旅が好き」
お休みどころ
みんな子供の頃があったんだよな〜
大きい制服の新入生へ
茨木のり子「球を蹴る人」
茨木のり子「行方不明の時間」
茨木のり子「友人」
店の名
久しぶりに茨木のり子さん
人生の季節
倚りかからず
ロートル・ネット・シンドローム
「鍵」を探し続ける日々
年々かたくなる、からだと心
ふと心をうたれた詩