勇気をもらった絵

 職歴多彩な私は画廊に勤めていたこともあったんです。もう30年以上も前。絵を売る仕事は大変でしたが、今になってしみじみ思います。なんて素晴らしい経験をさせてもらったのだろうと。
 月に数回、風呂敷に包んだ作品を抱え、丁稚件社長の運転手として東京都心の交換会へ通った日々。

 毎回、仙台からノンストップで車を走らせトンボ帰りの強行軍。

 でも味わえた「感動」はとても豊かなものでした。

 毎回何十点も競りに出される絵画や彫刻など美術品の数々。。。

 知らない間に感覚が研ぎ澄まされていくようでした。

 →画廊にいた頃

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 いつか、その頃出会った「思い出の絵」や、「好きだった絵」について書き留めておきたいな〜と思っていました。

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 東京に生まれ岩手県盛岡市で育った『松本竣介』は、私がとりわけ大好きな画家の一人です。

 私の地元宮城県美術館所蔵の『画家の像』を見るたびに、自分自身の30代前半、「暮らし」と「身体」がとても苦しかった時期を思い出します。

 そして見るたびに心打たれ、「なにくそ!」と勇気づけられた作品でもあります。

松本竣介「画家の像」 1941


(私が持っている画集より)

 大人の背丈ほどもある大きな作品です。

 妻や子の表情は、のしかかる「生活の苦しさ」「将来への不安」を感じさせます。

 しかし、何かを決意したように彼方をじっと見据えて立つ竣介。

 そのすっくと立った姿が、私には「開き直った勇気」を与えてくれるのでした。

 1941年という戦争のさなか、耳が聞こえないハンデを負っている彼は戦地には征けませんでした。

 そのため、国(社会)や家族に対する責任感は、その不安とともに人一倍強かったことでしょう。

 仁王立ちをする竣介の気持ちは私にはとてもよく理解できます。

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 彼は旧制盛岡中学で彫刻家の舟越保武と同級でした。

 二人の温かき友情は、竣介が1948年36歳で夭逝するまで続きました。

 二人の作品には岩手の空だけが持っている「透明感」のようなものを感じます。

 舟越保武が竣介の絶筆に寄せた文章は、何度読んでも涙が流れます。

 →一番美しい追悼文

 そして私はいつも42歳で夭逝した親友について思い出します。

 彼のことも、いつかブログに書き留めておきたいな〜と思っています。