いくさの話

 半藤一利著『昭和史』の帯にはこんな文章が書かれています。 上巻には「日本人はなぜ戦争をするのか」、下巻には「日本人はまた戦争をするのか」と。
 さらに「あとがき」には、こう書かれています。

 語り終わっていま考えることは、幅広く語ったつもりでも、歴史とは政治的な主題に終始するもんだな、ということである。人間いかに生くべきかを思うことは、文学的な命題である。政治的とは、人間がいかに動かされるか、動かされたか、を考えることであろう。戦前の昭和史はまさしく政治、いや軍事が人間をいかに強引に動かしたかの物語であった。戦後の昭和はそれから脱却し、いかに私たちが自主的に動こうとしてきたかの物語である。しかし、これからの日本にまた、むりに人間を動かさねば……という時代がくるやもしれない。そんな予感がする。(半藤一利著『昭和史』あとがきより)

 太平洋戦争の兵士は今どれくらい残っているのでしょう。もう90歳ぐらいの方々だけでしょう。戦地に征かなかった人もいますから、さらに少ないはずです。鬼籍に入ったもっと年上の方々は、あまりにむごい体験をしてきたために、多くを話せないで亡くなったようです。


(香月泰男 かづきやすお シベリア・シリーズ「点呼」)

『詩集ノボノボ』より

いくさの話

 もう何百回 聞いたことだろう

 父の戦争体験記 シベリア抑留記

 そして帰国後のあれこれ とまどいを


 終戦の前の年 学徒動員やらで

 貨車に 貨物船に 家畜のように積みこまれ

 博多へ そして北朝鮮へと送りつけられた 

 二十歳の初年兵 父

 ロシア軍機 機銃掃射の音 逃げまどう父

 凍ったシベリアで 銃殺される 

 仲間だった 脱走兵


 あまりのひもじさに

 毒セリと知らずに食べて

 もがき死ぬ 捕虜仲間 


 四年後 帰されて 教員となり

 社会科を教えろと言われても

 天皇陛下万歳から

 民主主義の世の中へ 変化が強すぎて

 シベリア帰りじゃ 追いつかない


 そのうちに結核になってしまった

 戦争 シベリア 病棟

 これだけが 父の青春

 生きて帰れただけ 幸せではあったが


 だからかな〜 

 私は とても拒絶反応が強い

 「正義のために戦う」という言葉


 だいたい 変なことだらけ

 どこの国でも いつの時代でも

 「戦え」という人は 「戦えない」老人だけだ

 「戦う」人は 何も言わない

 臆病者と言われたくないしな〜

 そして 死んでいく


 変なことの きわめつけ

 「戦う」に 「負け」は入っていない

 これって 当たり前だろうか?

 半分の確率で

 どちらかは 必ず「負け」のはず


 「いくさ」を肯定する人は

 とっても 無責任じゃないかな〜

 負けたらどうなるかって

 とどの最初から 考えに入れてない


 いっそ こうなればいい

 戦士の年齢は 五十歳以上

 自称愛国者から 前線へ

 女性の愛国者も 前線へ

 もちろん もうあがった人だけ

『詩集ノボノボ』
 焼き鳥のけむり
 緑の絹をつらぬき通す
 すべり台の子供たち