ニュー・シネマスタイル

 こんな映画もあるんだと納得しました。その上映方法がユニークです。一昨日『降りてゆく生き方』を観てきました。
http://www.nippon-p.org/mov.html

 なぜユニークかといえば、この映画は、なんと!「映画館で上映しない映画」であるからです。

 じゃどこで上映するかといえば、市町村のホールなど公共施設です。

 だれが上映するかといえば、この映画を観て感動した人たちが次の上映企画を行っていくのです。

 まるでバトンタッチのようにして、全国至る所で同じ作品が何度も、いつまでも上映されるのです。

 「こんな方法もあるんだ!」と、作品の内容と共に感銘を受けました。

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 この映画があることはずいぶん前から知っていました。

 さらに、この映画のモデルとなった方々や施設のことを紹介した『変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから』という本も読んでいました。

 なので、きっとこの映画はそういうモデルの方々のドキュメンタリーなんだろうと思っていました。少しお固い?

 実は違っていました。

 武田鉄矢主演の、実によく作られたフィクションドラマでした。

 ストーリーが秀逸かつ切実で、最後まで画面から目が離せませんでした。

 それに途中何度も笑ってしまいました。

 「そうそうこんな人もいるな」「あれ、この人って有名なあの人とそっくり」「私の町とそっくり」など、感情移入してしまいます。

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 一昨日は、我が宮城県大崎市で上映会がありましたので私も友人と一緒に観てきました。

 驚きました!

 何百人もの観客、おおぜいのスタッフ。

 聞けば、この辺の介護施設のほとんどがこの実行プロジェクトに関わっていたんです。

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 一回使い切り消耗品のように、作られては消えてゆく様々な作品たち。

 使い切りばっかりだから、どうでもいいような粗製濫造の現代文化。。。

 ところがこの作品は5年間もずっと生き続けています。

 上映終了後のインタビューでは、なんと!9回も観たという県外からの観客もいました。

 こういうやり方なら、良質の作品がその良質さを全うできるんだな〜と、実に感銘を受けました。

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 脚本・監督の森田真美さんの言葉を紹介します。

「脱・格差社会」「脱・グローバリズム」に向けた映画づくりへの挑戦

  私たちが子どものころ、希望あふれる未来だと信じていた二十一世紀。

 ところが、現実に到来してみると、そこは、グローバリズムの名の下に、個人が激しい競争にさらされ、消費され、疲弊していく実に厳しい時代でした。

 自殺者は年間三万人を超え、企業ではうつ病や精神病が飛躍的に増加し、少年犯罪や凶悪犯罪が横行し、親による子の虐待などの悲惨なニュースが日々当たり前のように報じられています。

 勝ち組と負け組の格差は広がる一方で、若者は未来への夢を描けず、大人は老後に不安をおぼえる先行き不透明な時代。それが現代の日本なのです。

 そんな時代に、希望の灯を点したい。そういう願いを込めて私たちが映画「降りてゆく生き方」の企画開発に入ったのは、二〇〇五年の夏のことでした。

 格差社会の問題点を解決する試みとして私たちが注目したのは、「まちづくり」でした。

 没落していく地域や商店街で、個人が立ち上がり、盛り上げていく。

 そういう地域主導、個人主導の動きの中にこそ、格差社会やグローバリズムを脱して次の時代を創造していくヒントがあるのではないか、と私たちは思ったのです。

 そこで私たちは、北は北海道から、南は沖縄まで、まちづくりの達人たちを訪ねてはインタビューをするという地道な活動を開始しました。

 私たちが映画のシナリオ開発のためにインタビューをした人々は、二〇〇人を超えました。

 それと並行して、書籍等のリサーチも積極的に行いました。その数は、最終的には三〇〇冊を超えました。

 インタビューやリサーチによって、不況やグローバリズムの荒波にめげることなく、生き生きと活動していく人たちが日本にはたくさん存在することがわかったのは、大きな収穫で、私たちも大いに元気をもらいました。

 日本には、商店街の活性化に限らず、教育、福祉、医療、観光、商業などを通じて、まちや地域を元気にしている人々が実にたくさんいるのです。

 しかし、それはうれしい一方で、私たちに新しい悩みをもたらしました。・・・・・

 映画の中身は観てからのお楽しみ!

 一言だけ言っておきますと、「実に楽しめて、身に沁みて、後にほのかな余韻が残る上質なお酒をいただいた感じ」です。