もうひとつの「保守」

 江川紹子さんの特別寄稿を読み共感しました。まるで学生時代の親友のように、これからの重責を担う安倍総理に静かに語りかけています。自己反省と私たちのこれからの生き方をも模索しながら。

 私もそうなんですが、安倍総理と同世代ならではの内容だと思いました。

 まず、安倍さんの健康を気遣い、無理な男らしさをやさしくたしなめ、対等な目線と真摯な気持ちで書かれています。

  →特別寄稿・江川紹子  選挙は終わった 安倍氏やマスコミに願うこと、自分が心がけること

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 私たちはエネルギッシュな「団塊の世代」の次の世代でした。

 私は「ナイーブな世代」だと思っています。

 学生運動もピークを過ぎ、イデオロギー論争などに対して距離を置く、一見日和見的に見える「優しい世代」「迷える世代」だったと思います。

 そのころを象徴するのが、当時芥川賞となった『赤頭巾ちゃん気をつけて』のように思います。(著者の世代は上ですが)

 ところが、社会に出てナイーブの大切さを見失い、いつのまにか「強きものへのあこがれ」や「性能高き僕(しもべ)」に走ってしまった人が多い世代でもあります。

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 さて「保守」という言葉は「国家」や「権力」という言葉と、とても密接になっています。

 江川さんは、この寄稿で「もう一つの保守」について書いていました。

 「なるほど、そういえば、こっちの保守のほうがはるかに大事だよな」と思いましたので引用させていただきます。

(3)必要なものからやっていく現実的で実務型の運営を

 安倍氏には、理想とする国家像があり、憲法改正も強く主張してきた。しかし、国民の多くが取り組んでもらいたいと思っているののは、そうした「理念」よりも、現実の生活であり経済であり、持続可能な社会保障の制度作りなどだろう。周辺の諸国、とりわけ中国との関係も、できるだけ穏やかな状況にしなければ、経済への影響が大きい。「理念」を押し通すのではなく、実務型の内閣であってもらいたい。

 自民党は、選挙で「日本を取り戻す」というスローガンを掲げた。その言葉からは、かつてのような強い経済大国としての日本を復活させようという意気込みを感じさせる。しかし、超高齢化が進行中で、生産しながら消費も活発に行う年齢層がどんどん減っていく今、そんなことは無理だ。高度経済成長期やバブル経済の頃の思い出とは、きっぱり決別しよう。

 今の日本で政治に求められているのは、「保守」であり「維持」だと思う。「保守」といっても、イデオロギーにおけるそれではなく、高速道路や下水などのインフラの「保守」であり、老いたり病気になったり失業しても何とかなるという社会システムの「保守」。人も設備も高齢化していく中、これまでの日本が築いてきた、そこそこ豊かで快適な暮らしを維持するのは、相当の努力と工夫が要る。しかも、新しい道路や橋を完成・開通させるのと違って、「保守」や「維持」は実績として目に見えにくい。あまり大風呂敷を広げず、威勢のいいことを叫ばず、地道に黙々と地を這うような政治をやって欲しい。

 どのような時代が来るにせよ、主役は私たちであり、決して何もかも政治に任せっきりにしたわけではありません。

 寄稿の後段には、私たちの今後の政治や社会との関わり方について自己反省と希望が謙虚に書かれており、とても教えられました。