アクセク町からノドカ町へ

 さすが老練のコピーライター天野祐吉さん。私も、いや、多くの日本人が本当はそう思っているはずなんですがね。。。
 三本の矢の一本目が放たれ、株価は上がり円安は進み、(輸出関連の)経済界は提灯行列に近い喜びようみたいです。

 それにしても、せんだっての衆議院選挙じゃないですが、政治も経済も急降下と急上昇の繰り返し。

 そのたびにふりまわされて大騒ぎ。

 直近の経済さえ上向けば後は野となれ山となれ、みたいな意識が常識のような社会。

 「何か違うんじゃない?」という違和感を私はぬぐいきれません。

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 私が大好きなコラムニスト天野祐吉さんのこんな文章に出会いました。


朝日新聞 2013.2.6(CM天気図)

白戸家の引っ越し 天野祐吉

 白戸さんちが引っ越すという。

 こう聞いただけでわかる人はテレビの見過ぎ、わからない人はかなり浮世離れした人だが、ま、それはどうでもよろしい。

 で、白戸さんちはどんな町へ引っ越すのか。引っ越しを予告するCMに、なぜか銀髪にセーラー服の樹木希林さんがチラッと現れて度肝をぬかれたが、引っ越し先はまだ不明だ。だから、いまのところはなんとも言えないのだが、できればカネカネカネのアクセク町から、カネよりヒマを大切にするノドカ町へ引っ越してほしい。

 経済成長なんてものをしゃにむに追いかける時代はもう終わっている。いまの成長は人間のための成長じゃなく成長のための成長だ。「限りある地球で限りない成長が可能だと考えるのはエセエコノミストか愚か者だが、現実はエセエコノミストと愚か者ばかりになっている」とフランスの経済哲学者セルジュ・ラトゥーシュおじさんは毒づいていたが、その通りだとぼくも思う。

 だいたい、3・11後に心に決めた“日本の再生”は、そういう町からの引っ越しだったんじゃないだろうか。白戸さんちのお父さんは選挙にも出たような人(じゃなく犬)だから、そのへんは当然わかっていることだろう。

 思えば1992年、バブル崩壊のまっただ中で、ときの首相の宮沢喜一おじさんは「生活大国5カ年計画」を発表して、経済大国から生活大国へ行き先を変えようと提案した。あれはいい計画だったとぼくは思うが、宮沢さんの失脚で話はつぶれ、ぼくらはまた経済大国行きの列車に連れ戻されてしまったという過去もある。

 アクセク町はもういいよ。ノドカ町に引っ越して、面白い話をいろいろ聞かせてよね、白戸さん。

 転ばぬようにと自転車を必死にこぎ続け、年寄りに毎日カンフルを打って、無理が当たり前のような社会にますますなっていくような気がします。

 「無理すれば二日後にやってくる筋肉痛」

 国というのは、人間の一生と同じようです。

 超高齢化社会に入った日本は、じいさんばあさんの社会になったんです。

 どこの国だって、まもなくそうなるんですけどね。

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 人も国も、熟年世代には「量より質」の食事や環境がいいはずです。

 なんでもかでも馬の餌みたいにどんじゃか生産したって、だれも食いきれないというのが今の日本ですよ。

 これからは大きな家も戦車のような巨大な車もいらない、食事は手作りの安全で新鮮な材料を家庭で食べる方がいい。

 そして熟年は社会から卒業なんて思わずに、これまでの経験を生かして若い人と協働し、無理のない「小商い」をいっぱい増やしていく。

 そういうスタイルになっていけば、かかる金も精神的な不安も減るし、かえって満足感が上がると思うんですが。。。

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 ところが政治や経済というのは、どうしてもその方向を目指せないらしい。

 なぜなのかな〜?と考えてしまいます。

 もしかしたら、わたしたち熟年世代が「夢よもう一度」的な年寄りの万能感欲求から抜け出せないからかもしれません。

 もうひとつの生活スタイルを考えつかないし、やってる人を見ようともしないからじゃないでしょうか。

 アクセク町からノドカ町へ引越するのは、「政治」や「経済」などの大きい家ではなく、「暮らし」や「人生」という一人ひとりの小さい家で、荷物を整理していかないとはじまらないのでは?と思うんです。

 五木寛之さんも同じこと語っていますよね。

  →「下山の思想」より