詩人が政治家であった国

 銀行の講演会といえば、「企業成功者」「金メダリスト」「高級評論家」といったところが定番だったでしょうか。 はっきり言って私は苦手でした。
 ところが一昨日開かれた地元の銀行の講演会は、講師が日本ペンクラブ会長でもある小説家浅田次郎氏で、テーマは「人生いかに学ぶか」でした。

 考え方に共感する作家でしたので、今回は聞きに行くのがとても楽しみでした。

 (浅田次郎さんは、個人名ではなく日本ペンクラブという著者名で『今こそ私は原発に反対します』という本を出版されました。)

  →私は「加害者」かもしれない

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 お話には中国の「科挙」のことが詳しく盛り込まれ、私にはとても興味深いお話でした。

 浅田氏が文学、特に漢文学に惹かれたのは中学生の時。

 私たちも習った陶淵明の『帰去来辞(ききょらいのじ)』に出会ったときからだそうです。

 当時、浅田少年が先生から教えられたのはこんなこと。

 実は「帰去来」三つの漢字はすべて「帰る」という意味の字であり、思いの強い順番に並んでいるのだというのです。

 つまり「帰る!!!帰る!!帰る!」というような意味であると。

 (電子辞書の「漢語林」で調べたら、たしかに「来」には「帰る」の意もありました)

 それを日本の訳者は「帰りなんいざ」と訳したのですが、浅田少年はその訳に感動したのだそうです。

 (『帰りなんいざ、田園まさにあれなんとす。なんぞ帰らざる』「帰去来辞」は陶淵明が41歳の時、官界(政界)の汚濁をきらって、すべての官職を退けて田園に生きる決意を語った詩です。)

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 それから漢詩を好きになり、次々と読んでいったらしいのですが、ある時不思議なことに気づきます。

 中国の有名な詩人たちの多くが「官僚」(中国の官僚=政治家)だったのです。

 「なぜ?官僚という政治の世界に生きる人たちが詩人なんだ?」

 そして、その秘密が隋・唐時代より清朝末期まで続いた中国の官僚登用試験「科挙」にあったと発見するのです。

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 「科挙」は八段階もの試験を受けるという、世界史上とてつもない秀才選抜試験であるわけですが、どの段階にも共通する試験科目があったというのです。

 それは「政策論」「四書五経」そして「詩作」なのだそうです。

 政治世界の登竜門にはなんと、芸術的素質能力が必要な「詩をつくること」があったというのです。

 こればっかりは、いくら記憶力が良くても、計算が速くても対処できない。。。

 詩を作るということには、自然や人間に対する深い洞察力、想像力が必要です。

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 なるほど、「文治主義」といわれるゆえんです。

 そういえば、昔の中国は中華帝国といわれるほど強勢を誇りながらも、歴史上に記録される大きな侵略などしない国でありました。

 逆にモンゴル人に侵略されて「元」となったことはありますが。(満州族も異民族と考えれば清もそうですが)

 詳しく調べればあれこれきな臭い話もあるでしょうが、西洋と比べ比較的「倫理的な国家(文明?)」であったといえるのではないでしょうか?

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 科挙の制度は清朝末期1905年に廃止されたそうです。

 たしかに中央集権官僚制度の制度疲労は大きかったと思いますが、「文学的政治」というのは私には魅力的です。

 現在の中国共産党で、「詩作試験」だけ復活したらいいな〜と考えてしまいます。

 そうしたらお隣関係もずいぶん紳士的になるのでしょうがね〜〜。

 その時には日本でも一緒に復活すると面白いですね。政治家が和服を着て短歌で国会討論するようになるかもしれません。

 「詩人しか政治家にはなれない?そんな社会などとんでもない」と心配に思う人は多いと思います。

 しかしお隣の中国が、実際に千数百年以上もそうであったわけです。実に不思議なことです。

 本日のお話は浅田氏からの聞きかじりですので、あしからず。。。