『七人の侍』主役はだれ?

 黄金名作『七人の侍』の主役はいったいだれでしょう? 勘兵衛?菊千代?それとも。。。
 旧き日本映画は黄金作品だらけです。

 昨晩ふと思いついたのです。

 『七人の侍』って「戦後の日本」に似てないか?って。

 映画の最後に軍師勘兵衛(志村喬)がこう言います。

 「勝ったのはあの百姓たちだ・・・わしたちではない・・・・」

 それはこんなセリフに置き換えられるんじゃないかと

 「勝ったのは戦後の日本だ・・・わしたちではない・・・・」
 
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 映画は農民の侍探しから始まりました。

 武器を持たない農民、日々盗賊に脅かされ、大切な米はおろか女房娘まで取られ、我慢も限界に達していた。

 →憲法九条の縛りで戦争できない日本、日々領土問題で隣国に脅かされ、貿易は追い越され、大切な工業技術まで模倣され、国民の反感も限界に達していた。
 なんとか打開しようと、強き侍を雇って野ぶせりどもをやっつけてもらおうと考え、貴重な米を持参し、町へ探しに行く。

 →なんとか打開しようと、強きアメリカの援護を受けて対抗しようと考え、TPP参加という生け贄を持参して、アメリカへ行く。

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 実は農民出身だった菊千代(三船敏郎)は咆える!

 「百姓ってのはな、けちんぼで、ずるくて、泣き虫で、意地悪で、間抜けで、人殺しだぁ!!」

 →「日本ってのはな、貯金ばっかりして、商売ばっかしで、へっぴり腰で、閉鎖的で、先が読めなくて、大義とかで戦争やらかした!!」

 そして、でてくるわ、でてくるわ、落ち武者狩りをして得た刀や鎧。。。

 →そして、警察予備隊から保安隊,自衛隊へ。憲法九条のすきまをぬって、アメリカから買った買わされた世界最高水準の兵器多数、貯まりにたまった原爆五千発分ものプルトニウム。。。

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 野ぶせりたちとの決戦がついに訪れる。

 侍の指揮のもと、へっぴり腰ながら野ぶせりとの闘いに参加する農民たち。

 →いくら最新鋭の兵器をそろえても、すべてアメリカのシステムに統合された防衛システム、日本はアメリカ軍の一部にしかすぎない。(憲法変えても同じはず)

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 やがて戦いは終わり、侍たちは村を去る。

 季節は田植え時期、もう盗賊の心配がなくなった農民たちは、男も女も一緒になって、陽気に田植え踊りを踊る。

 「今度もまた、また負け戦だったな・・・・・いや、勝ったのはあの百姓たちだ・・・わしたちではない・・・・」

 →「戦争というものは悲惨だ。結局へっぴり腰でかっこ悪い日本が、アメリカや国連や憲法の制約を上手に使い、国土や国民を守っているのだ。勝つとは本来そういうことだ」

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 かなり強引なたとえ話でした。。。

 結局『七人の侍』の主役は「百姓」であったと私は思います。

 かっこ悪く、へっぴり腰だった百姓たち。

 しかし一番強かったのも、一番したたかだったのも、一番得したのも、彼らだったと思うのです。

 彼らが守ろうとしたのは「誇り」ではなく、ずばり「命」であり「命の源である田んぼ」でありました。

 「戦う」ということ「強さ」ということについて、実に考えさせられる映画です。