うつくしく、やさしく、おろかなり

 杉浦日向子さんのエッセー集の題名です。彼女がとことん惚れこんだ「江戸」へのラブレターです。
 昨日、FBでこんなことを書きました。

 「今はガラクタを買い続けないと景気が失速する時代になってしまいました。倹約の美徳はいったい世界のどこに残っているのでしょうか。。。」

 そうしたらある友人からありがたいコメントをいただきました(汗。。。)

 「・・・言い得て妙です」

 その後「倹約の美徳」的価値観は、世界のどこに残っているんだろうと思って考えてみたら、「江戸時代」がまさにそうだと気づきました。

 江戸時代は「過去」だって?いやそうじゃないんです。

 縦の歴史をググッと横に並べる世界観においては、「江戸時代」は今ここにも存在しているんです。

 それは私たちの生活様式であったり、様々なものの意匠になっていたり、本に書かれていたりして、目立たぬようにして在るのです。

 ですから私たちは「日本国民」でもあり「大江戸民族」でもあるわけです。(私なんかは蝦夷民族でもあるわけで、日の丸ばっかりじゃないんです)

 近くにあった杉浦日向子さんのエッセー集『うつくしく、やさしく、おろかなり』をパラパラめくっていたら、こんな文章に出会いました。


 大都市である江戸が二百五十年間の泰平を保つ事ができた価値観を示すキーワードは「持たず」「急がず」、この二つの言葉だけです。

 「持たず」には二つの意味があります。一つは物を持たない。衣食住の家財道具をすべてスリム化する。たんすの肥やしをなくする、残飯をなくする、そして住まいもコンパクトにまとめる。年に何回かしか使わないような客間や応接間は必要ないとする、こういうようなスリム化が長屋です。

 それからもう一つの持たないは、コンプレックスです。他人をうらやむ、ひがむ、そういったコンプレックスを持たずに、自分は自分という自信を持って日々を暮らせば、せちがらくない。そういうことが大切なのです。

 次の「急がず」、これも二つあります。一つの急がずは、仕事を急がない。せっかちな江戸っ子らしからぬことですが、江戸は職人の町ですから、彼らはコンプレックスは持ちませんでしたが、プライドはしっかり持っていました。職人かたぎというプライドです。つまり急げば三日早く仕上がる仕事は、逆に三日延ばして丁寧にやる、 こういう気持ちが職人のプライドであり、誇りなんですね。

 そしてもう一つは、人づきあいです。諸国の吹きだまりである寄り合い所帯の江戸では、人とのつきあいを、細やかに手を抜かず、急がずやっていかないと、支えあってこそ成り立つ共同体の中ではつまはじきになってしまう。

 二つの持たないと二つの急がない。これを江戸だけではなく、三千万人がほぼ実践できたからこそ、平和を守れたのではないか。長い低成長だけれども心豊かな時間をもてたというふうに考えます。(談)

 現代の政治も社会も生活も、江戸時代の価値観とは正反対の向きに流れています。

 しかも大きな川の流れになってしまって、たくさんの小舟が向きを変えようとしても転覆するだけのようです。

 大型クルーザー「日本国家丸」は、「対岸の住民たち、目にも見よ!」と速度を上げ、波風を高くし、多くの乗客もスリルを楽しんでいます。

 私はといえば、小舟にのって思い切りあおられています。

 「群れない人生、小さくても小舟のほうがいいや!」といきがるのが関の山。

 しかし、大きな川にも淀みあり、支流あり。

 そんな秘かなスポットを見つけ出し、そこで小舟の向きを変えたり、佇んだりすることぐらいはなんとかできそうです。

 たぶん日向子さんも、そんな思いを持って「江戸」へのタイムトラベルを繰り返していたのでしょう。