久方ぶりに自転車で実家まで行きました。片道八キロくらいです。実家のそばにはガキの頃から遊んだ土手と公園があります。
新緑の公園で感慨にふけりました。
(なんて大きな木になったことだろう!)
この公園が整備されたのは私が中学生になった頃。
そのとき私の腕よりも細い桜の木や銀杏の木がたくさん植えられました。
中学校の運動会で応援席のバックとして使う6畳間ほどの絵も、ここに模造紙を広げ皆で描いたことを思い出します。
あれから46年。。。
大きくなるのも当たり前ですが、それにしても、まるで老木のように哲人の風格を漂わせているなんて。。。何か感無量です。
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さて、雄々しく静かにそびえ立つ木々を見て、ふと映画『風の谷のナウシカ』を思い出しました。
「腐海の森」の場面です。
人間の愚かな欲とあやまちで生じてしまった人の住めない瘴気に包まれた森。
悪魔的とも思われていたその森に生息する植物群は、実はその瘴気を吸収し無害なものに変えて排出する希望の浄化装置であったのです。
そのことを唯一発見し、みづからもそのメカニズムを研究する王女、それが「ナウシカ」です。
なにか、放射能にまみれたわが祖国を見ているようです。。。
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そんな地獄を作り出した人間が、再び「力」を求めて性懲りもなく「巨神兵」という「化け物」を復活させます。
私には、「巨神兵」が「原発」と重なり合います。
これだけの事故を起こし、国土の一部を(たぶん)喪失したというのに、政治家は「巨神兵(原発)」を空輸(輸出)し、人々は景気さえよくしてくれるなら何も文句はありませんと許容している。。。
私が31歳の時、映画版「風の谷のナウシカ」が完成しました。私が観たのはその数年後、テレビ放送でした。
安倍晋三氏は私より一つ下。きっと同じ頃に観ているのでは?と思います。
いや他の多くの人々も感動とともに観たと思うんです。
しかし。。。何も感じなかったのだろうか?感じたことを忘れたのだろうか?
今行っている原発再稼働や原発輸出ということが、あの「巨神兵」を廃墟から見つけ出し、空輸し、最終兵器としてまた用いた、あのトルメキアの皇女や将軍の行動とそっくりであるということを。
映画では、ナウシカと心を通わせた王蟲(オーム)の群れがトルメキア皇女クシャナの心を変え、再度絶滅する危機をかろうじて防ぎました。
ナウシカは、ナウシカの心は、今いずこ、と思わずにはいられません。
もし政治家が、アニメが世界に誇る日本の文化というのなら、(良質な作品の)その思想こそ誇るべきです。
そして、その思想にふさわしい判断と行動を政治はなすべきです。
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こんな言葉にいたく共感します。
湯川れい子
ここまで毎日揺れているのに、こんなに小さな島なのに、そこにぎゅうぎゅう詰めで1億もの人が生きているのに、他にどこも行き場が無いのに、高レベル放射能汚染水も廃棄物の捨て場もないのに、どうしてスパッと原発はあきらめて貧乏でも国土と大地と水、空気、海、国民の命を守ろうと考えないのか?