ノボ辞典「デジタル」

 間違った思い込みがあります。それは「デジタルとは1か0かである」というものです。実は、デジタルはアナログと同様「無限」なのです。
 私たちはデジタルコンピューターの計算方式である二値論理だけが「デジタル」と思い込んでいますが、実はそうではありません。だとしたら、そこからどんな発想が生じるものでしょう。


ノボ辞典より

Digital【計数】名

 「デジタル」の語源はラテン語の「指」だそうである。

 その意味は「連続的な量を、段階的に区切って数字で表すこと」である。

 だから、「1」「0」の「二値論理」がイコール「デジタル」ではない。

 私が高校時代に使っていた研究社の「新英和中辞典」では、このように訳されている。

digital
a.指(状)の、指のある n.1指 2《ピアノ・オルガンの》鍵(けん)

 今から45年ほど前までは、現代のように社会を席巻するような言葉ではなかったことがこの訳でもわかる気がする。

 もちろんこの頃でもデジタル(汎用)コンピューターはすでにあったので、この辞書にも(実に短く)次の訳がある。

digital computer
n.計数型計算機 (cf.analogue computer)

 これらの定義にしたがえば、「そろばん」もデジタル計算機なのである。

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 さて、デジタルとは「数字」であるから、1とか100とか12345・・・とか無限に存在するものといえる。

 無限といえばアナログもそうである。

 ということは、「デジタル」も「アナログ」もどちらも「無限」を扱っているから同じようなものである、と言えそうだ。

 そもそも自然は無限というべきものだろう。

 「デジタル」は、無限の事象に対して表現や論理思考をしやすくするための「アナログの簡便法」といえるものかもしれない。

 または「何にでも境界を引きたがる人間の本能」の結果といえるものかもしれない。

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 現代社会は「デジタル」万能・全盛の時代である。

 しかし、現代の「デジタル」は本来の「数字」ではなく、「二進法」に特化してしまった。

 そして多くの功罪を生み続けている。

 功罪の「功」のほうは、コンピューターの驚異的発達だ。(功かどうかには異論がある)

 功罪の「罪」のほうは、人間性の驚異的劣化だ。

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 コンピュータの驚異的発達は何をもたらしたか?

 それは「時空の圧倒的短縮」である。

 それは「効率」の極致である。

 コンピューターのおかげで、時間も空間も(たとえば飛行機やロケットへの応用などで)圧縮されて、人の使える分が増えたように感じる。

 実は人間の生理的時間は同じなので、見るものがAからBに替わっただけという錯覚なのだが。

 「効率」は、やがて「効率教」という疑似宗教を生み出した。

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 「効率教」はこの世で唯一公平な?尺度とされる「お金」と結びつき、マネー資本主義を大いに発展させた。

 世界の経済も政治も、実はこの「効率教」が、アラーやキリスト、仏陀の宗教よりもはるかに強力である。

 何よりも特徴的なのは、「効率教」はそれが宗教であることをほとんどの人に感じさせないことにある。

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 人間性の驚異的劣化とはどんなことを指しているか?

 まず身体的劣化である。

 この文章を私もコンピューターのキーボードで入力しているが、眼鏡が会社と家に合わせて5つもあるのだ!

 仕事といえば「液晶にらみ」。結果生じる、姿勢の悪さ、運動不足、眼精疲労・・・

 誰でもきっと思いあたることだろう。

 もっとひどいのは精神的能力の劣化である。

 漢字は書けない、暗算できない、まともな本を読めない、始終SNSにとらわれっぱなし・・・

 おっと!もっと深刻なことがある。それは感性の劣化である。

 コンピュータによって戦争という殺戮はテレビゲームと一体化してしまい、人々はまるで映画を見るように、殺戮をゲームのように感じるようになってしまったのである。

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 政治・経済・文化全般において社会の劣化も著しい。

 と、私は思っているのだが、多くの人があまり気づかないのにはこんなわけがある。

 日々「効率の極致」を吹きすぎる風のように経験している(と誤解している)からだ。

 実は、アキレスと亀の詭弁のように(こちらは詭弁ではなくて真実だが)、永遠に効率はその極致にたどり着けないのに。

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 最悪の劣化と私が思うのは、人間の思考がほとんど「1」か「0」かの二値選択になりさがっていることだ。

 「敵」か「味方」か、「賛成」か「反対」か、「生」か「死」か、「合格」か「不合格」か・・・

 今のデジタル社会は「1」「0」ではなく、実は「1」「−1」の二値だと思える。

 同じじゃないかって?

 いや「1」と「−1」の間に(今は隠されている)「0」があると言いたいのだ。

 つまり「1」「0」「−1」の「三値」こそ本来の姿だと。

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 世の中には「正」でも「反」でもない重要な選択肢がある。

 たとえば、最近の選挙で某政党が大勝した。

 しかし、もっとも多くの人が選択したのは「0」、つまり「どちらも否」なのだ。

 「0」の価値を「1」「−1」と同等に扱う「三値のデジタル社会」が必要と思う。

 「0」は「停滞」ではない。「1」「−1」に「熟成」をうながすための「一時保留」だ。

 もう二値の社会は十分だ。。。

 これからは隠れた「0」を重要視した「三値のデジタル社会」が必要だ。

 政治経済にとどまらず、地球全体が致命的な状況に至ることを少しでも食い止めるために。

『ノボ辞典』目次
 ノボ辞典「オリンピック」
 ノボ辞典「デジタル」
 ノボ辞典「丁寧」
 ノボ辞典「農」「農業」
 ノボ辞典「経済」
 ノボ辞典「憲法九条」
 ノボ辞典「選挙」
 ノボ辞典「反面教師」
 ノボ辞典「必要悪」
 ノボ辞典「愛国心」「愛国主義」
 ノボ辞典「能力」「性能」