ザ・シルバーズ鮎川へ

 恒例となったザ・シルバーズツアー三旅目、昨日は宮城県石巻〜女川〜鮎川へと車を走らせました。親父の思い出の地でもあるのです。
 夏だというのに気温20度という涼しさ!長袖、上着を着込んでの道中となりました。

 メンバーは、いつものように89歳の親父、80歳以上の元同僚先生二人、そしてドライバーの私、いつもの四人組です。

 曇り空、涼しい天気はかえって歓迎。特に親父は犬と同じで暑さが大の苦手ですから。

 さあ! ザ・シルバーズツアー、別名「冥土の土産ツアー」の出発です。

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 いつものように女性陣は遠足モード、お菓子やら手作りのナス漬け、キュウリ漬け、飲み物・・・

 出発早々、人間用ガソリンのように食べ物が運転席にまわってきます。

 そして、これまたいつものように元女先生方の途切れぬおしゃべり。

 実は私にはそれが楽しみでもあります。

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 今回の目的地は石巻の奥、牡鹿半島の突端、鯨で有名な「鮎川」。

 鮎川中学校は親父がはじめて教頭になったとき赴任した学校。

 金華山沖鯨漁がさかんな頃、捕鯨船の基地やマルハ太洋漁業の鯨加工工場がありました。

 その頃の鮎川は人口も数万人いてまだ活気が残っていたようです。

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 同じくその頃、我が家は大きな変化が立て続けにありました。

 お袋がその後10年以上も続く重度の鬱病になったり、祖母が二人亡くなったり、ある事情で貧乏になったり。

 さらには金欠状態、家族全員別暮らしの中、私の姉も私も同年に結婚。

 翌年は親父が胃ガンの手術(親父は累計4回ガン手術をしたんですが、よくこんなに長生きしているもんです。。。)

 そんな個人的事情にまつわる思い出もありました。

 さらに3.11以前は30年もかかさず参拝していた金華山、その船が出発する鮎川・・・

 大震災以来初めて、2年半ぶりの再訪です。

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 途中、石巻のはずれにある「サンファンバウティスタ号」の記念館を訪れました。

 伊達政宗の命を受け、支倉常長が木造帆船でメキシコ経由でローマへと往復航海しました。

 その復元船を展示しているのですが、震災後の補修中で休館でした。

 女川から鮎川への途中、支倉常長らが出港した「月の浦」で記念撮影。

 ここもびっくりです。以前は眼下に月の浦の入り江がはっきりと見えたのに今では木々が繁茂して何も見えません。。。

 しかも、敷地内には仮設住宅が数棟。。。震災の傷跡を強く感じます。

 40分後到着した「鮎川」。

 唖然としました。。。かつての街も桟橋も何もかもなくなったままでした。。。

 この桟橋から金華山行き大型遊覧船が何隻も出航していたのに。

 かつて観光会館や多くの売店、食堂があった場所にはもう何もありません。遠くに見える捕鯨船博物館だけが化石のように残っているだけです。

 高台の「御番所公園」に行きました。

 あれ、前と違う! 円形の展望休憩所も数棟あったバンガローもなにもかもなくなっている!


 (向こうに見える島が金華山です)

 牡鹿半島の丘陵地帯を車で走ってみれば、道路は寸断、砂利道だらけになっていました。

 コバルトラインも至る所で道路工事中。

 あらためて、復興の遅れを感じました。

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 さ〜お昼だし、どこかで昼食をと探しました。

 鮎川でどこか食堂やっていて、おいしい海鮮丼とか食べられるだろうと、みなで期待していたのですが、とんでもない誤解でした。

 鮎川はおろか女川にも食堂らしきものはないんです。(一軒仮設の食堂はありましたが)

 石巻市内に入る直前のプレハブラーメン店で昼食をとった時は14時半をまわっていました。

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 今回のツアーは楽しさよりも、震災後のまだまだ癒えぬ現実を知る苦く深い思いの旅となりました。

 「やっぱり、来てこの目で見ないとわかんないっちゃにや〜」 

 と、みんなで語り合い、うなずき合い、一日も早い復興を心から祈ったツアーでした。

(参考)
 ザ・シルバーズ栗駒山へ