まもなく魚が食卓に上らない日が来るのでは?少し前まで「まさかそんなことが」という話が日々現実味を増しています。同時に、数字が大きすぎて怖さを実感できない私たちでもあります。。。
とんでもない福島第一原発の放射能海洋汚染!
大変なこととは思いつつも、何兆ベクレルとか言われてもピンと来ません。
昨日の新聞にこんな記事が載っていました。
朝日新聞 2013.8.25
海が変 高い水温―北海道にクロマグロ・サンゴ白化 黒潮蛇行―シラス・イワシ不漁
日本近海が変だ。北海道沖にクロマグロが大量にあらわれたり、沖縄でサンゴが死んだりしている。高潮や台風被害の危険も増しているという。海で何が起きているのか。
この記事は、海洋表面温度の上昇による異変について書かれているのですが、つい、放射能汚染も同様、いやもっと大変なことになっているのでは?と感じてしまいました。
「何兆ベクレル」とかいう想像を絶する数字ではなくて、このような目に見える、あるいは想像できる記事を読んではじめて恐怖を実感します。
食物連鎖で放射性物質の蓄積が進み、やがて魚介類、海藻類に大きな異変が生じるのでは?
そうなったら太平洋岸の漁業は壊滅、寿司屋さんだって廃業が多くなるのでは?
やがて、子供たちにも異変が?
3.11以後二年半もたつというのに、かえって破滅的恐怖がつのってきているのは私だけでしょうか?
一年半前に書いた自分のブログが、もしかしたら本当になるのでは?と真剣に恐怖を感じました。
再掲しますので、ぜひお読みになってください。
そしてもう一度皆で考え直してみたいのです。
「誰にも制御できないこと、責任をとれないことがある」ということを。
2012.1.11
大間のクジラ
初競り
なにせ大間のマグロが初競りで1億円の大台を突破したのだ!
今までだれも見たことがない大きさの巨大マグロが市場に現れたのだ。それは全長6メートル、体重は1トンを超えていた。
今まで巨大マグロといわれたものの倍以上のしろものだった。
テレビも新聞も正月最初の報道で、縁起がいい話としてTOPで紹介していた。
読買新聞は一面に「大間のクジラ、築地に上陸!」と、大マグロをクジラにたとえ、はなばなしく元気さをあおった。
まさか、これがあの、地球を揺るがす異変の最初の兆候であったとは、その時だれも思う人などいなかった。一人を除いて。
ある疑問
著名な生命科学者である柳山幸子博士はこの映像をテレビで見ていた。そしてすぐさま眉を曇らせた。
(これはおかしいわ? こんな巨大マグロが急に出現するなんてありえない。何か生態系に異変が起きているのではないかしら?)
実は博士は、このマグロ以外にも最近、青森や北海道で異常な生物がちょくちょく発見されていたことを知っていたのだ。
たとえば凶暴性を持ったねずみ、赤い羽根の白鳥、産卵しない鮭など・・・
博士はひそかに六ヶ所村の放射能がその原因ではないかと疑っていた。
秘密の垂れ流し
福島原発事故の陰に隠れて、多くの人の目からそれてしまったもうひとつの事故があった。いや今もある。それは「毎日繰り返される原発事故」といってよいほどの邪悪なことであった。
柳山博士が14年前に明らかにした六ヶ所村の放射能垂れ流しのレポートをここに引用しよう。
<以下、柳澤桂子著「いのちと放射能」より抜粋させていただきました>そのようなさなか、二〇〇六年三月三十一日に六ヶ所村の核燃料再処理施設が試運転を開始した。
再処理工場というのは、使用済み燃料を切り刻んで、硝酸溶液のなかに溶かして、使用済み燃料のなかにあるウラン(九四パーセント)、プルトニウム(一パーセント)、核分裂生成物(五パーセント)を分けて取り出すための施設である。
このたびの運転では、十七ヵ月かけて、約四三〇トンの使用済み核燃料を処理して、四トン前後のプルトニウムを抽出する予定である。
この目的は一パーセントのプルトニウムを取り出すことであるが、使用済み核燃料を切り刻み、硝酸で溶解した時点で、希ガスと呼ばれるガス状の放射能が大気中に放出される。代表的なものはクリプトン85である。事業者の日本原燃は、最初は希ガスの回収装置をつけるといっていたが、結局回収はできるが固定化ができないとして、これを取り付けないことになった。
放射性の炭素14も大気中に放出される。海洋中には、トリチウムなどのいろいろな放射能が放出される。
放射能の除去装置を設置することは経済的にあわないとして、真剣に開発に取り組もうとしていない。再処理工場は、「原発一年分の放射能を一日で出す」といわれている。
原子力発電所では、施設の運転による公衆の被ばくについて、年間0.0五ミリシーベルト以下を目標とすることが指針で定められている。しかし、再処理工場では、線量を定める指針はなく、「合理的に達成できるかぎり低い」ことが求められているだけである。
この原子炉から空へ放出される放射線は、クリプトンなどの希ガスを除いて年間四〇〇〇万ミリシーベルトである。これは五千七百人分の吸入摂取致死量に当たる。
一方、海への放出量は年間三億三〇〇〇万ミリシーベルトで、これは四万七千人分の経口摂取致死量にあたる。
二〇〇五年に、米国科学アカデミーは、低線量の放射線の影響について、世界初の大規模な疫学調査の結果を発表した。それによると、放射線被ばくは、低線量でも危険であることがわかった。
これまで、低線量の被ばくは危険でないとの意見もあったが、この結果によって、その説は否定された。
結局住民の健康よりも、原子力発電をスムースにおこなうことの方がたいせつなのであろうと疑いたくなる。
二〇〇六年三月三十一日に運転を開始した再処理工場の建物のなかで、五月二十二日に放射線管理区域内で着る衣服に放射能の汚染が発見された。この衣服を着ていた作業員の排泄物から微量放射能が測定され、この作業員が、微量の放射能を体内に取り込んだと考えられた。
六月二十四日にもふたたび、下請け作業員の被ばく事故が発生した。この作業員も内部被ばくを受けたと推定される。このときは、床も相当汚れたと考えられ、頻発するこのような事故に対する日本原燃の被ばく管理、安全管理のあり方が問われるところである。
ところが、六ヶ所村再処理工場の安全管理体制の評価結果を青森県知事に報告するために県庁を訪れた日本原子力技術協会理事長・石川迪夫氏は「体内被ばくを皆無にするのは不可能だ」と語った。
このようないい加減な気持ちで、原子力施設を動かすことはあってはならないことである。
そのほかにも、使用済み燃料貯蔵プールの水漏れや高レベル放射性廃棄物の保管施設の設計ミスが見つかったが、国は施設を再点検させ、試験開始の決定を下した。
南氷洋の異変
お互い意地の張り合いとしか言い様のなくなった、日本の捕鯨調査船とシー・シェパードの戦い。2020年も南氷洋で小競り合いを続けていた。
真夏の晴天の下、強い太陽と氷山の照り返しでギラギラと目を射す黒い海原の上に、彼らはとてつもない光景を見た。
何千何万頭ものクジラの群れがいたのだ。海原をより黒々と見せていたのは、そのクジラたちのせいに違いなかった。
やがて彼らの顔は青ざめた。捕鯨船も、シー・シェパードも。
クジラが彼らの船に突進してきたのだ!
彼らの船は転覆した。冷たい海に落ちて死ぬまでの数十秒の間に彼らは知った。
「これはクジラではない!マグロだ!」
世界の麻痺
原発停止より経済危機が怖いと政治家や経済界のエリートたちは強調し、2023年に至るも日本では原発は元気に稼働していた。
それが、経済効果に寄与するはずの原発のせいで、世界経済危機が発生してしまったとは皮肉なことであった。
「大間のクジラ」はやはり大異変の予兆であった。めだたぬ食物連鎖のサイクルの中で放射性物質の蓄積はある生物的臨界点に達していたのだった。
まさか、映画がそのまま現実になろうとは!
たとえばヒッチコックの「鳥」、凶暴性を持った烏が群れをなして人間を襲っていた。
すべての魚に何らかの異変が生じており、食べることが国際的に禁止された。
科学的に合成された人工肉やサプリメントがこの時代の主食になっていた。
このようなことになっても、エリートたちの関心はやはり「富」と「力」である。
「科学の弊害は科学で乗り超えよう!」と原発をさらに改良しようと躍起だ。
破滅へのイデオロギー
やがて2100年、人類の半分は突然変異で以前の人類とは異なる容貌を持つようになっていた。
指のない手、三つの瞳、指の間のえら、半陰陽、無毛、多毛、角、しっぽ・・・かつて大学の医学部にホルマリン漬けされていたような変異体が数多く生まれている。
しかし、徐々に来たこの変化を異常と思う者は、この時代だれもいない。
2012年の人類から見れば異常な未来、これを引き起こしたのは放射能と何億種類もの合成された化学製品、その相乗効果によるものであった。
しかし、それを止められなかったもっと大きな原因がある。
それは「破滅へのイデオロギー」だ。
「経済が麻痺すれば生命が危ない」、だから?「経済価値優先こそ私たちの掟なり」
「すでに起きてしまったことは戻せない」、だから?「止まるな、引き返すな、十も百も同じだ」
2011年、ある大新聞社のナベ○○主幹はこう主張していた。
「日本が原発やめてもしょうがないじゃないか。中国が(日本海側にも)二百基以上の原発を計画しているのだから」
クリティカルシンキングで有名なある会社の社長は、孫さんとの討論でこう言っていた。
「原発よりも、(あなたの会社の)携帯電波基地局の電磁波が私は怖い(それと同じでしょう、原発だって)」
これらの論理は人間の倫理を超越していた。私には「スゴイ!」としか言い様がない。
「泥棒は絶えないのだから、私が泥棒やめてもしょうがないでしょう」
「あなたの家のテレビも音を出すんだから、暴走オートバイの排気音だって同じでしょう」
人類の容貌が変わる前に、脳ミソが変わってしまっていた。
2100年の未来は、それに気づけなかった私たちのたどるべき運命だったに違いない。