里山のように豊かな恵みがたくさん入っています。『里山資本主義』はそんな本です。文中に、私が今いちばん凝っている言葉「シェア」についての興味深い考えが紹介されていました。
実は今、「自然派シェアオフィス」を企画中(構想中)です。
「メインハウス」「ワークショップハウス」「スモールハウス」の三種類の施設が基本となる構成です。
最初、ほんとタイニーに(ちっちゃく)やろうかと思っていました。
ところがあれこれシミュレーションしてみると、(少し)大きい企画にした方が発展性もあり採算もとれそうということがわかりました。
ということで、「自然」「シェア」「共創」「エコ」「半自給自足」「Bライフ」これらの要素すべてをドッキングした構想を思いたちました。
それぞれのコンセプトを三種類の施設で保ちながら、互いにゆるく連携できる「愉しい共創の場所」です
主役でもありバックアップ施設でもある「メインハウス」は既存のカッコイイ「ログ系ハウス」にしようと思って、先日展示場で工期などをについてたずねました。
そうしたら受注後着工まで早くて一年、その後完成まで早くて半年ということなんです。
これから計画を具体化しようとしても、どんなに早くても半年かかります。
ということは、私の夢がかなうのはもっとも早くて今から二年後ということになります。
あ〜〜私はそのとき62歳、メンバーも確実に歳が増えていく〜〜〜
これはスタートを急がないと、あの世行き宇宙旅行の出発時刻が刻一刻と近づいてきます。
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さて、新しき社会スタイル、仕事スタイル、生活スタイルに欠かせない要素は「シェア」という概念でしょう。
実際はじめてみればとても難しいことも多々あると思います。
なにせ、江戸の長屋暮らし的要素の復活ですから。
現代は、そういう(旧い)暮らし方からの脱却だったわけですから。
しかし困難さとは裏腹に、「シェア」という概念は私たちの感覚にまちがいなく(再び)根をおろしはじめています。
そんな今、本に書かれてあった指摘に思わず気づかされました。
「そうだ、昔はシェアって別な意味に使ってたよな? いつのまに変わってしまったんだ?」
以下『里山資本主義』<第三章「シェア」の意味が無意識に変化した社会に気づけ>より抜粋しました。
(読みやすいように小見だしを付けました)
古くさい「グローバル経済像」
小さな地域と地域が、どちらかが搾取する側でどちらかが搾取される側という関係ではなく、対等な立場で情報を交換し互いに強くなる経済の形は、グローバル経済とは相容れない、対立するものなのか。
国際経済のマクロ分析が専門の、浜矩子・同志社大学教授は、それは違うと指摘した。浜教授は、今私たちが信じている「グローバル経済像」は、古くさい経済なのであり、実際はそこから抜けだしどんどん進化しているのだ、そのことに私たち自身が早く気づくべきなのだと語った。
ジャングルは弱肉強食だけではない
グローバル社会を「ジャングル」に見立てた説明は、我々の「弱肉強食の生存競争しかない」という固定観念を一瞬にして打ち壊した。
「グローバル時代は強い者しか生き残らない時代だという考え方自体が、誤解だと思うのです。多くの相手をつぶしたやつが一番偉い、みたいな感覚でグローバル時代を見る人たちの頭の中は時代錯誤と言えます。われわれは、グローバルジャングルに住んでいます。ジャングルは、別に強い者しかいない世界ではありません。百獣の王のライオンさんから小動物たち、草木、果てはバクテリアまでいる。強い者は強い者なりに、弱い者は弱い者なりに、多様な個性と機能を持ち寄って、生態系を支えている。これがグローバル時代だと思います」
古いシェア、新しいシェア
グローバル化社会自身がそうした方向に進化しっつあることを示す言葉として、浜教授は、『シェア』 という言葉の使い方が、最近変わっていることを挙げた。
「かつてシェアという言葉は市場占有率と受けとめられていました。市場のシェアナンバワンになりたいという言い方ですね。今はどうですか〜 今は分かち合いという感覚を持って人々に受け止められるようになっている。一八〇度違う意味で使い始めているのです。グローバル時代、成熟経済に対する理解が広まっているのではないでしょうか」
なるほどです。
グローバル社会がとても生きづらいのは、実はグローバル社会の本質「ジャングル性」を満たしていないから、というわけですね。
今まで、「多様化」「ローカル化」というのはグローバリズムの対極と思っていました。
ところが、それらが内包されてこそ真のグローバリズム(=グローバルジャングル)が成り立つってわけですから、敵が実は味方だったっていう逆転の発想です。
今こそ、「多様化」「ローカル化」を進めて豊かなジャングルにしなくちゃいけない。
ですから「一律群れ志向」「一極集中志向」「国家大事主義」なんか、本当は時代に合ってないわけですよ。
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今の世の中、ほんの少しでもいいから政治や市場経済から離れた暮らしスタイル、仕事スタイルを取り入れないと「個人」がアブナイですね。
「群れる」ことになれてしまった国民は、政府やマスコミの情報にすぐ踊らされ、弱いイナゴが過剰防衛本能でカーキ色の群れにすぐ変身してしまいます。
ちっちゃくても、力が弱くても、少しでも自立を考えたスタイルを作っていかないと、オーウェルの『動物農場』『1984年』の世界が本当にやってきそうな世の中です。
でも、一人の人間ができること、生きる時間には限りがあります。
最近つくづく感じるようになりました。
私にできるのは、新たな暮らしスタイル、仕事スタイルを実践し、「群れ」ではなく「個」を大事にする感性を少数の関わりをもった人たちに広げていくことくらいです。
それでこの世から「あの世への宇宙旅行」出発準備完了です。(実質あと15年?)