アル中先生

 「教育とは、教えられたことをすべて忘れた後に残っている先生の匂いである」誰が言ったか忘れましたが、実に名言だと思います。
 「思い出アルバム」第37話目は名物先生の思い出です。


(昭和46年:高校卒業アルバム編集委員、私は写っておりません)

アル中先生


 様々な先生たちから様々な影響を受けて免疫力を養ってきた私たち。と、私は心底思っている。ところが、そんなことなど覚えがないとでもいうように、悪口をのたまう同世代がいて嫌になる。「この国が誇りを失ったのは戦後教育のせいだ、日教組のせいだ!」だけどあの時代、組合活動というのは生活闘争であり、日教組に入らなくてもいい先生は実に少なかったのだ。


 悪口をのたまうやつほど、学校時代の恩師をよんで同級会などを開くのだから何か変でもある。それに、そういう元気のあるヤンキーっぽい悪ガキほど、昔の先生たちはけっこう可愛がってくれたものだ。今の(ヤンキー)内閣から見込まれて、偉い役目を仰せつかっているヤンキー先生だってそういう先生に育てられて立ち直ったらしい。


 教えられることが勉強と思っている輩には、変人先生は迷惑だろう。ロボットでもいいから簡単にオレの頭に知識を詰め込んでくれよ、と思うのかもしれない。勉強とは自分自身で学んでいくことだと思っている私なんかは、変人先生大歓迎だ。なにせ世に反面教師以上の教師はいないと思うから。


 人生最高の教師は「親」だと思うが、その「親」というのも実に様々だ。だれも教育ロボットのような親を望む奴はいなかったし、今でもそうだろう。そもそも親にケチ付ける奴はろくでもない奴だと思う。


 さて日頃の憤懣をぶちまけていたら、名物先生のことを書くスペースが減ってきたようだ。思い出せば高校時代の先生が一番ユニークだった。極めつけは美術のアル中先生。


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 教室の戸が開いた。痩せさらばえた老浪人のようないでたちで美術教師が入ってきた。お〜〜っと!よろめいてあやうく後ろに転びそうだ。顔がやけに赤いし、目が据わっている。生徒たちはすぐに直感した。「酒のんでる!!」


 生徒たちの反応はさまざまだ。「面白い先生だ」と思う奴、「トンデモナイ迷惑先生だ」と思う奴。酔っ払い先生が語る。「いいか〜〜おめえたち、酒から醒めるときの一瞬に、芸術的なひらめきが生ずるんだ〜〜」そのうちにだんだん酔いが醒めてきて、普通の授業に近づいてきた。


 担任の先生は体育の教師だった。彼もまたユニークで、学生時代充たされぬ何かを追い求めて北転船にのり、北洋で過酷な漁をしていた。美術教師のことをクレームとした生真面目な生徒の言い分を受けて、美術教師にたてついた。美術教師は「おまえに言われる筋合いなどない」と言ったそうだ。


 美術教師の巨大な牛の絵(何か賞をとったらしい)が校舎の玄関に飾られていた。私は今でもその絵を思い出す。豊満にデフォルメされた雌牛、そのなんたる野性、かぐわしき草原!あふれる生命のほとばしり!すさまじき芸術家の執念、産みの苦しみ、そして絶頂を感じるのだった。卒業して数年後に再び見た。同じ感動が背中や腰に熱く伝わってきた。


 高校三年のある日、美術部の部室にふら〜〜と入ったことがあった。美術部の生徒の卒業制作作品を前に、先生は思いきりある作品を、作者である生徒の前で罵倒していた。「おまえのはマスターベーションだ!」と。私にはその作品がなぜそのように罵倒されるのかよくわからなかったが、どういうわけか、その時の先生の真剣な形相を今でも思い出すのだ。


 他にもいろんな個性豊かな先生たちばっかりで、私たちのとんでもない行動にもユニークな対応をしてくれた。還暦になった今でも思い出すのは先生たちのこんなエピソードだけだ。その頃の、懐かしき「時代の匂い」とともに。

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