童話や児童文学というのは、実は大人のための本だな〜〜と、最近つくづく思うようになりました。
この前テレビの映画チャンネルを観ていたら、ジョン・トラボルタがスカーレット・ヨハンソンにこんなセリフを語っていました。
「今では信じ難いが、俺たちも昔は純粋な子供だった。」
総理も、社長も、司令官も、投資家も、金持ちも、貧乏も、右翼も、左翼も、日本人も、中国人も、韓国人も、アメリカ人も。。。
原発、戦争、ヘイトスピーチ、金まみれ。。。実にこのセリフが信じ難い世の中ではあります。
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かつて田辺聖子さんはこうおっしゃいました。
「本を読まへん大人が増えた。 だから子どもみたいな国になってしもた。」
今ではこう言い換えられそうです。
「本を読まへん大人が増えた。 だから子どもみたいな感性のない国になってしもた。」
子供の頃の感性や想像力、未来への期待感は大人よりはるかに豊かで瑞々しかったのではないでしょうか?
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フェイスブック仲間からこの童話を紹介されました。
『やっぱり おおかみ』(ささき まき さく・え 福音館書店)
たった30ページほどの絵本ですが、内容はもとより童話全般に共通する「堅固で美しい装丁」のせいもあって、読んでいてとても気持ちが良いものです。
紹介された方は幼少の頃読んでとても心に残ったそうです。
正直、スゴいな〜と思いました。
だって、これはお釈迦様の教えですよ。たぶん。
ところが仏教のお経には、一見すると孤独を強調する厳しい言葉が見られます。たとえば、お釈迦さまの言葉を集めた『スッタニパータ』には、修行僧に対して「サイの角のように、ただひとり歩め」と説きます。心の迷いを取り去るために、他人と交わることを戒めているのです。
また、『無量寿経』には、「(私たちは)この世界にたったひとりで生まれ、たったひとりで死に、たったひとりで来て、たったひとりで去る」という有名な一句があります。どんなに多くの家族や友人に囲まれていても、人間は突き詰めればひとりなのだ、というとても厳しい人間観です。オオカミのように、仲間やつながりを求めてやまない私たちをたしなめるかのようです。
けれども、これらの言葉は、ただ単に孤独をすすめているわけではありません。仏教はそもそも、人も動植物も自然環境も、あらゆるものがつながりあい、関わりあいながら生きていることを説くのですから。」
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最後の数ページだけ紹介します。
「そうおもうと なんだかふしぎに ゆかいな きもちに なってきました。」
私はなにかとても勇気づけられた気がしました。。。
それもおだやかに。
たかが絵本、されど絵本です。
童話を読んで少し若返った気がしました。
でも、若返りとは「私何歳に見えます?」じゃなくて、「私の感性何歳に感じます?」にしないとね〜。
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あ〜、そうそう宮崎駿さんはとっても本嫌いだったらしんですが、嫌いだったのは「読むべき」とされた本のことで、児童文学なんかはそれこそ私たちが子供の頃(今も?)漫画大好きだったように熱中していたようですね。
読書の秋は「中年よ、ノウハウ本を捨てて、子供の本棚に向かおう!」ですね。