天野祐吉さん「別品の国」

 天野祐吉さん最後のメッセージ『成長から成熟へ』が出版されました。亡くなってからかえって親近感が増す毎日です。
 今になって思えば、ほんとにフツーのことをフツーに疑問に思い、そのフツーとはどういうことかをわかりやすく語ってくれたご隠居さんでした。

 今の日本横丁には天野さんのような賢いご隠居さんは、めっきり少なくなってしまったようです。

 横丁には日の丸が掲げられ、勢いのよさそうな人がやたら増え、成長だ!誇りだ!という拡声器の声が響き渡り始めました。

 若い頃には反骨精神が少しはあったわれわれ中年も、今じゃほとんど「ネオコンオヤジ」に鞍替えしました。

 熊さん八っあんも「そうそう、やはりお上は力がなくっちゃ、俺たちの生活も上向かね〜しな〜」なんて、いつのまにやら太鼓持ち。

 いさめる役の大家さんもご隠居もめっきり少なくなりました。

 いつか昭和史で見た風景。。。

 でも歴史なんか全く意味なし。だれも勉強しないでへ理屈を考えるんですから。

 天野祐吉さんも同じようなことを感じていたと、私は思っているんですよ。

 天野祐吉さん、最後の本『成長から成熟へ』から最後のメッセージを引用させていただきます。


『成長から成熟へ』より

おわりに

 仕事場の窓から見える風景や、窓ごしに聞こえてくる声を、思い出すままに書いてみたら、こんなふうになりました。1940年代〜2010年代までの、これはぼくの日記みたいなものです。

 アメリカの爆撃機が落とす焼夷弾の中を逃げまわつた日々から、アメリカの核の傘の下で過ごしている日々まで、よくも悪くもアメリカと縁の切れない七〇余年でしたがこの問の大き出来事と言えば、やはり8.15の敗戦と3.11の大災害です。8.15で成長社会が始まり、3.11で成長社会から成熟社会への転換が始まるという、この二つの日付は、ぼくにとってもこの国にとっても大きな転換点になりました。

 が、3.11を契機とするこの国の再生は、まだ遅々として進まない。それは災害地の復旧だけでありません。日本そのものの再生も、うやむやになつている。それどころか、いまの政権は、3.11以後の日本の再生ではなく、3.11以前の日本を再生しようとしているように思えます。

 政治家の人たちも、憲法をいじったり原発の再稼働をはかったりするヒマがあったら、経済大国や軍事大国は米さんや中さんにまかせて、新しい日本の国づくりに取り組んでほしいものです。

 三〇年ほど前、哲学者の久野収先生に聞いた話を、いま思い出しています。

 昔の中国の皇帝は、画家や陶芸家の品等を、専門のスタッフと相談してきめたらしい。で、その一等を「一品」といった。天下一品なんていう、あの一品ですね。で、以下、二等・三等・・・ではなく、二品・三品・・・という呼び方で格付けしたそうです。が、中国の面白いところは、その審査のモノサシでは測れないが、個性的ですぐれていると思われるものは、「絶品」とか「別品」として認めた、というんですね。

 そのときの久野先生によると、「別品(別嬢)といったら、いまでは美人のことを指しますが、もともとはちょっと違うようですね。だいたいあれは関西からでてきた言葉でしょう。関西では、芸者と御科人さんとか、正統派の美女に対して、ちょっと別の、声がハスキーだとか、ファニーフェイスだとか、そういう美女を別嬢と呼んだわけですね。ところがいまは俗流化して、別嬢というと美人のことになつてしまった。ぼくが言いたいのは、別品とか逸品とか絶品というのは、非主流ではあるけれど、時を経ると、どちらが一位であるかわからないような状況の生じる可能性があるということなんですね」

 「別品」

 いいなあ。経済力にせよ軍事力にせよ、日本は一位とか二位とかを争う野暮な国じゃなくていい。「別品」の国でありたいと思うのです。

 これからは、私たちが横丁のご隠居さんを継いでいかなくっちゃね〜。

 とは思っても、人数足りなすぎるよね〜。