顔は世につれ

 映画『清須会議』を観てたまげました!お市の方を演じる鈴木京香がお歯黒をして眉を落とした顔になっていました。しかし考えてみれば、あの時代女性の多くはそのような顔だったんですよね〜。映画を観ているうちにお市の方ってやはり美人だな〜って感じてきました。

 「お歯黒、眉なし、能面顔」は戦国時代や江戸時代の遠い頃の話かといえば、さにあらず。
 
 明治から昭和に生きた(文学的科学者)寺田寅彦の随筆には「お歯黒」の話もありました。

 明治になってからも、彼の祖母も母も姉も伯母もみんなお歯黒をしていたんですね。


寺田寅彦
「自由画稿(十四)おはぐろ」昭和十年四月より

 ・・・既婚の婦人はみんな鉄牌水で歯を染めていた。祖母も母も姉も伯母もみんな口をあいて笑うと赤いくちびるの奥に黒曜石を刻んだように漆黒な歯並みが現われた。そうしてまたみんな申し合わせたように眉毛をきれいに剃り落としてそのあとに藍色の影がただよっていた。まだ二十歳にも足らないような女で眉を落とし歯を染めているのも決して珍しくはなかった。そうしてそれが子供の自分の目にも不思議になまめかしく映じたようである。……

  ・・・妙にぐしゃぐしゃという音を立ててロの中を泡だらけにして、そうしてあの板塀や下見などに塗る渋のような臭気を部屋じゅうに発散しながら、こうした涅歯術(でっしじゅつ)を行なっている女の姿は決して美しいものではなかったが、それにもかかわらず、そういう、今日ではもう見られない昔の家庭の習俗の思い出には言い知れぬなつかしさが付随している。

 この「おはぐろの追憶」には行燈や糸車の幻影がいつでも伴なっており、また必ず夜寒のえんまこおろぎの声が伴奏になっているから妙である。

その後の文章がおもしろい。今の世ならますます通じそうな。。。

 ・・・今の娘たちから見ると、眉を落とし歯を涅(そ)めた昔の女の顔は化け物のように見えるかもしれない。

 しかし、逆にまた、今の近代嬢の髪を切りつめ眉毛を描き立て、コティーの色おしろいを顔に塗り、キューテックの染料で爪を染め、きつね一匹をまるごと首に巻きつけ、大蛇の皮の靴を爪立ってはき歩く姿を昔の女の眼前に出現させたらどうであったか。

 やはり相当立派な化け物としか思われなかったであろう。

 お歯黒をきっかけにこんなことを疑問に思ってしまいました。

 「いつの世も変わらぬ容貌の美しさってあるのだろうか?」

 寺田寅彦が「野々宮君」として登場する漱石の『三四郎』、その冒頭には三四郎と広田先生とのこんな会話場面が描かれています。


夏目漱石
『三四郎』より

 ・・・浜松で二人とも申し合わせたように弁当を食った。食ってしまっても汽車は容易に出ない。窓から見ると、西洋人が四、五人列車の前を行ったり来たりしている。そのうちの一組は夫婦とみえて、暑いのに手を組み合わせている。女は上下ともまっ白な着物で、たいへん美しい。

 三四郎は生まれてから今日に至るまで西洋人というものを五、六人しか見たことがない。そのうちの二人は熊本の高等学校の教師で、その二人のうちの一人は運悪くせむしであった。女では宣教師を一人知っている。ずいぶんとんがった顔で、鱚(きす)またはかますに類していた。

 だから、こういう派手なきれいな西洋人は珍しいばかりではない。すこぶる上等に見える。三四郎は一生懸命にみとれていた。

 これではいばるのももっともだと思った。自分が西洋へ行って、こんな人のなかにはいったらさだめし肩身の狭いことだろうとまで考えた。窓の前を通る時二人の話を熱心に聞いてみたがちっともわからない。熊本の教師とはまるで発音が違うようだった。

 ところへ例の男が首を後から出して、「まだ出そうもないのですかね」と言いながら、今行き過ぎた西洋の夫婦をちょいと見て、「ああ美しい」と小声に言って、すぐに生欠伸なまあくびをした。三四郎は自分がいかにもいなか者らしいのに気がついて、さっそく首を引き込めて、着座した。男もつづいて席に返った。そうして、「どうも西洋人は美しいですね」と言った。

 ちょんまげをやめ、着物を洋服に替えたわが明治のご先祖様の西洋人コンプレックスをいたく想像させられる文章です。

 西洋人は映画なんか観るとたしかにカッコイイと私も思いますが、ずっと昔からそうであったのでしょうか?

 1987年出版の堺屋太一『現代を見る歴史』を再読していたら興味深い文章に出会いました。


堺屋太一
『現代を見る歴史』
「弱兵の経済大国宋王朝と次代の日本」より

ジョットの聖者はモンゴル人の風貌

 一四世紀のイタリアの画家ジョットは、アッシジの「聖フランチェスコ伝」など数多くの壁画を残したので有名だが、これらに現れる聖母マリアや各聖人の顔立ちには、はっきりとした特色がある。

 いずれも眼が細くつり上がり、顔が扁平なのだ。それはこの大家の師に当たるチマブエなどが描いた、丸い限の彫りの深い顔立ちとは甚だしく違っている。ジョットの聖者たちの顔には明確に東洋人の特色が描かれている。それどころか、服装の柄にもはっきりとモンゴルのパスパ文字を書き込んでいる。彼ほ疑いもなく、モンゴル人の顔を「美しき象徴」として聖者に当てたのだ。

 ジョットだけではない。はば同時代のシュナ派の画家たちシモーネ・マルティーニやアンプロジオニレンツェティーも聖者の顔をモンゴル風に描いた。一四世紀のイタリアでは、モンゴル人に似ていることが喜ばれたのである。あたかも今日、金髪美人がコマーシャル・タレントとして好まれているように。

 ヨーロッパ的視点で描かれる今日の世界史では、モンゴルを戦争だけが強い野蛮人といいたがるが、一四世紀頃の見方ほ余程違っていたようだ。ましてモンゴルの支配が長く続いたロシアでほ、モンゴル人に似ていることが美男子の条件であり、ためにロシア貴族は競って脚をガニ股にし、熱心に髭を剃った。「美しい」と思われることは、民族としての優越性を認められた証拠といってよい。軍事力の「突出国」モソゴルは、凶暴な征服者としてではなく優れた統治者として畏敬されていたのである。

 たしかに相撲界現役横綱「白鳳」「日馬富士」、引退した「朝青龍」、強さ故か私もかっこよく思えます。

 「顔は世につれ」は正確に言えば「顔は世の権勢につれ」といったほうがいいかもしれません。

 女性についても同様で、国力がついてきた中国人女性、韓流文化の韓国人女性、エネルギッシュで健康そうな東南アジアの女性、彼女たちの美人度もきわめて上がったように思えます。

 しかしなんといっても私がいちばんきれいだと思うのは、往年の昭和大女優たちですね。

 私の個人的趣味で選ぶと(あいうえお順)

 浅丘ルリ子、新珠三千代、有馬稲子、淡路恵子、淡島千景、池内淳子、岩下志麻、宇都宮雅代、江波杏子、大谷直子、大原麗子、乙羽信子、香川京子、岸惠子、岸田今日子、京マチ子、桑野みゆき、古手川祐子、小山明子、酒井和歌子、佐久間良子、佐藤オリエ、篠ひろ子、島田陽子、新藤恵美、太地喜和子、高田美和、高峰秀子、高峰三枝子、司葉子、津島恵子、十朱幸代、野川由美子、倍賞千恵子、原節子、樋口可南子、星由里子、松原智恵子、真野響子、三田佳子、光本幸子、南田洋子、水野久美、宮本信子、八千草薫、山本富士子、山本陽子、由美かおる、吉永小百合、吉村実子、吉村和子、若尾文子、鰐淵晴子・・・


 西洋人がバラなら、日本美人は百合の花、いや立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は藤の花ですね〜。

 彼女たちが活躍していた昭和のその時代は、日本が一番輝いていた時代なのかもしれません。

 ということは、今美人コンテストをしてもっとも投票が多い国こそ、近い将来の最強国であるかもしません。

 今の若者が美人、ハンサムとあこがれるのはどの国、どの民族なのかな〜

 中途半端な学問よりもよっぽど高い精度で次代の国際勢力図を当てるかもしれません。