日向子さんのお父上

 杉浦日向子さんのお父上も、娘に負けず実に粋であったようです。思いがけない本で知りました。
 思いがけない本とは『世界と闘う「読書術」』です。

 佐高信さんと佐藤優さんの対談集です。

 思いがけないとは、こんな前書きの本だからです。
 
 「嫌な雰囲気が蔓延している。・・・一言でいうと、現在は悪の力が強まりつつある時代なのである。佐高信氏とこの本を作った理由は、現実に存在する悪と闘うためだ。(佐藤優)」

 彼の言う「悪」とはファッショ(全体主義)のことのようです。

 この本で紹介、引用されている本は約千冊、たまげてしまいます。

 特に佐藤優さんの驚くべき博覧強記、こんなに本を、それも聞いたこともない本を読み、細部までシッカリ記憶しているとは!!

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 主に聞き役にまわっている佐高さんですが、日向子さんのお父上の話は彼から切り出されました。

 「粋に生きる」といえば、なんと贅沢な、なんと気楽な、と思いがちです。

 しかし日向子さんの父上の青春時代、つまり戦争の時代には、実はとても勇気のいる「抵抗の行為」でもあったのです。


(杉浦日向子『江戸アルキ帖』より)

『世界と闘う「読書術」』より

国家に抗う流儀
                   
佐高 亡くなったけど漫画家の杉浦日向子という人がいたでしょう。あの人のお父さんというのは日本橋の呉服屋の生まれで、吉原で財産をほとんどつぶしてるんですね。

 それで後年、杉浦さんが文春漫画賞をもらったときのパーティに私、城山三郎さんと一緒に出たことがあったんです。そのパーティには杉浦さんのお父さんも来ていたんですよ。そこで杉浦さんのお父さんと城山さんは同じ昭和二年生まれだということがわかった

 ところが同じ年齢でも、片や城山さんは一七歳で海軍を志願して、片や杉浦さんのお父さんは吉原で遊んで家業を傾けたわけですよ。そこを城山さんが心から感心しているわけ。あの時代にそういう生き方をするなんて自分には考えられなかった、あのときに遊べるというのはすごいことだといって。
佐藤 要するにあの時代において遊ぶというのはどういうことかというと、まさに「反戦」なんですよ。

佐高 そう、そうです。

佐藤 戦時中の「賛沢は敵だ」という標語に「素」を書き加えて「贅沢は素敵だ」と椰撤した、あのセンスなんですよね。

佐高 つまりお国のことしか考えてはいけない状況なのに、違うことを考えているということですね。

佐藤 そしてそれを実践していると。決して主人公にはなり得ない、だらしない「優男」という感じなんだけども、そういう人がいないとリベラリズムというのは成り立たないんです。そういう人を排除する時代になったらいけないんですよ。

佐高 その通り。

佐藤 だからそういう人が息苦しくなってくる雰囲気がすごくよくわかります。

佐高 城山さんがあまりに真っ直ぐにほめるものだから、杉浦さんのお父さんは「いや、いや、いや」と体を小さくして恐縮してしまってね。

 お父上が昭和2年生まれということは終戦時18歳ということですから、吉原で遊んでいた頃は16−7歳くらいでしょうか?

 それに戦時中吉原で遊べたのかな〜なんて不思議に思ったりします。

 でも城山さんが感心していたという情景は本当でしょうから、きっとお父上はかなり早熟だったのでしょう。

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 何かで紹介されていて印象に残っているんですが、この話とどこか似ている言葉があるんです。

 山口昌男「道化とは変革者が世を忍ぶ仮の姿である」

 シェークスピアの喜劇を読むと必ず王に仕える道化がいて、ときどき王に対して辛辣な警句を発して、すっと逸らすというか逃げる場面がよく出てきます。

 王は王でムカッとくるが「まてよ、道化の言葉にも一理あるな」と気づくわけです。

 道化のやり方というのは、ピッチングでいえば直球じゃなくて変化球というか、いや死球とか危険球みたいなもんだなと感心するんです。

 権力者(裸の王様みたいなもの)をハッとさせて自ら気づかせる、という裏技みたいなもんですね。

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 今、ブログを書きながら思います。
 
 「戦う」ことは難しいが「闘う」ことはできるかも。

 「勝つ」ことは難しいが「負けない」ことはできるかも。

 「拒絶」は難しいが「抵抗」ならできるかも。

 こられこそ真の「愚直」というものじゃないのかな〜。
 共感者を増やすには、「ユーモア」とか「風刺」とか、人の心に届きやすいものを上手に使うということも大事そうです。

 そんなことを考えさせられた、日向子さんのお父上のエピソードでした。

参考
 →アル中先生