三百年前の未来予想図

 杉浦日向子さん『一日江戸人』はとってもおもしろい!まるで海外旅行記のように臨場感あふれるお話しとイラスト。つい江戸時代が今もどっかにあって、飛行機で一時間も飛んだら行ってこれそうな気がしてきます。
 この本はどの章も残らず紹介したくなるような楽しさ満点の旅行記なんです。

 大江戸国観光ベテランツアーガイドのような日向子さんです。

 本日は本の中から、江戸時代に予想した未来のお江戸、つまり私たちの今の世界について紹介したいと思います。

 当たらずとも遠からじ、やはり血は争えないな〜という感じです。

未来世紀EDO

 古来より「一年の計は元旦にあり」とか申しまして、年頭にあたり、今年一年の展望などを鑑(かんが)みることが通例となっています。

 「来年のことを言えば鬼が笑う」とはいえ、先々の未来世界の空想には、やっぱり胸がトキメキます。

 江戸人にとっては、私たちの住む現代の世界が「未来」 です。それでは、彼らの想像した「未来世紀」とは、どんなものだったのでしょうか?

 今から三百年ほど前の、江戸中期の大衆小説に「未来記もの」という流行りがありました。

 未来記の書き出しには、どれも、何年後という具体的な数字は書かれていませんが、とにかく、読者の誰もが実見不可能な、ず〜つと先の世界だと、からかい半分に始まります。

 書き手も読み手も、内容が冗談であることは百も承知で、アハハそんなことがあってたまるかと、笑うための草紙だったのですが、未来人の私たちから見れば、 冗談に終わらぬ大予言も少なくありません。

 具体的にどんな予想をしていたかといえば、これがまたほほえましいものです。

 現代から見れば「完全リサイクル社会」を実現していた江戸時代、さすがに自然を大きく損なうようなものは予想していませんでした。

 江戸人から見れば、現代のエネルギーシステムや自動車社会は、危険極まりない野蛮なものに思えるかもしれません。

その未来像を統合して見ると

 1.季節感がなくなる。(旬の時期がベラボーに早まる)

 2.諸事、高級志向となり、贅(ぜい)を極めた後は、マニアックな趣味に走るようになる。(個性的なファッションがもてはやされる。古典への回帰、すなわちレトロが脚光を浴びる)

 3.各界での女性の台頭。(男性独占の分野がなくなる)

 4.自然破壊。(山奥まで宅地化が進み、神聖な山も俗っぼくなる)

 5.プロとアマの差がなくなる。(特に、芸能関係ではそうなる)

 6.今まで家庭で作っていたものが、安直なパックもの、セットものとして売られる。(七夕セット、お正月セットなど)

 7.草双紙(マンガ)が大人の読み物となり、小難しい本を読む子供が増える。

 8.子供が辛い商品を晴好する。

 9.日本語が乱れ、通言(業界用語)が流行り、ついには、得体の知れないカタカナ言葉が横行する。

 10.遊女(風俗ギャル)が、金持ちになり、実業界に乗り出す。

 11.年寄りの若作り、老いらくの恋が流行り、若者は老人趣味となり、渋いことばかり喜ぶ。

 12.盆と正月が、のべつ一緒に来る。(イベント流行り


 ハード面の予想がまったくないところがおもしろいですね。

 ソフト面(文化)の予想だけなんですが、ほとんど当たっているように思えるのは、私たちの遺伝子のせいでしょうかね〜。

 おもしろいのは「個性的なファッションがもてはやされる。古典への回帰、すなわちレトロが脚光を浴びる」でしょうか。

 本格的レトロブームにはまだ至っていない現代は「EDOの未来」への今だ過渡期かもしれません。

 さて、未来のファッションについて、日向子さんが原本のイラストをなぞって描いてくれています。

未来人、つまり私たちのファッション?

 何やら思いあたることが、たくさんあります。とはいえ、ず〜つと先の未来のはずなのに、挿絵の「未来人」が、当たり前のようにみんなチョンマゲに着物姿というのが、いかにもノンキでほほえましい感じです。


 黒船が来なかったら、もしかしたらこん感じの現代になっていたかもしれませんね。

 なんか、ブータンを彷彿とさせられます。

 実は300年後の未来予想図ではなくて、さらに300年後の未来予想図だったのかもしれません。

 その又300年後の予想図は江戸時代そのままだったりして。。。

 なにせ江戸時代は「エネルギー完全自給自足」「超エコ社会」「完全リサイクル社会」であったわけです。

 地球温暖化も完全解決。文明機器やらの過剰使用による肉体劣化もなし。放射能もなし。その他探せばいっぱい出てきます。

 江戸時代のほうが人類の未来としてふさわしいのかも?

 もちろん冗談半分ではありますが、私たちの錯覚を気づかせてくれる未来予想図でした。

 「私たちの錯覚」とは「私たちは常に幸福に向かって進歩し続けている」という錯覚のことです。

 あ、「今のほうが科学も進歩し、寿命も延びてるってのに、何が江戸時代だ!」と対抗心を燃やさないでくださいよ。

 私たちのご先祖様の時代であり、私たちの遺伝子にはきっと同じ心が宿っているはずですから。

  →お江戸の道楽