原作で読むナウシカ

 漫画を「見る」とはとても言えません。漫画は文学と同じく「読む」と言うのが適切と思えます。
 漫画家は、作家であり思想家であり、アーティストであります。

 私たちは小さい頃、漫画や図鑑、紙芝居などによって貴重な「想像力」を育ててもらいました。

 還暦を過ぎた今でさえ、良質な漫画は文学作品のように心を刺激してくれます。

 今、宮崎駿さんの代表作「風の谷のナウシカ」を原作の漫画で読んでいます。

 しばらく前に友人が貸してくれたのですが、ずっと「積ん読」になっていました。

 友人から聞いたその概要が、映像版ナウシカよりもはるかに深刻かつ深遠で、重く感じていたからでした。

 昨日2巻目を読み終わったばかりであれこれ書くのは気が引けますが、それでもいろいろと感じるところがありました。

 読書旅行中の手紙みたいな感じで、書き記しておこうと思います。

 このシリーズはすべての巻頭に宮崎駿さんの直筆水彩画がついており、これもまた魅力の一つです。

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 漫画版「風の谷のナウシカ」は1982年から1994年に至る12年間を費やして書かれました。

 途中1984年に映像版「風の谷のナウシカ」が制作され、私たちのほとんどが知るストーリーはこの映像版に拠っています。

 12年間をかけた作品というのは文学作品でもあまりないはずです。

 そういう点から考えれば、(隠れた)「二十世紀の偉大な世界文学」と言える作品かもしれません。

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 宮崎駿さんは実に人間的な方だと思います。
 
 それは私たちすべての人間が持つ「二面性」を、作品で露わにしているからです。

 善と悪、純真と魔性、理性と本能、愛情と憎悪・・・

 ナウシカの物語の舞台は常に「戦場」です。

 人と人、人と生き物、人と自然、その不幸で憎しみにあふれた戦いと、その代償のごとき偉大なる優しき調和の物語です。

 人間の業、文明の幻想、たくましき生命、大いなる自然・・・

 天使でもあり悪魔でもある人類、その奇妙な特性を持つ存在の「自己葛藤の叙事詩」のようです。

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 「戦争」というものに強い忌避感を持っている宮崎駿さんですが、兵器や武器に対してかなりマニアックでもあります。

 それは宮崎駿さんだけでなく、「男の業」といえるかもしれません。

 多分感性が近い私だって、いや同世代のほとんどだって、子供の頃は戦記漫画をむさぼるように読み、教科書に描く落書きは100%といっていいほど兵器だけでした。

 戦艦、空母、潜水艦、戦闘機、戦車、機関銃、爆弾・・・

 遊びだって、「戦争ごっこ」か「騎兵隊ごっこ」か「チャンバラごっこ」でした。

 宮崎駿さんの作品の大きな魅力のひとつは、その武器や兵器のデザインやデテイルの魅力でもあります。

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 しかし兵器を描いてもあまり猛々しい気持ちにならないのは、土偶や壁画を思わせる古代文明的デザインが駆使されているからでしょう。

 ナウシカの使う飛行体にしてもハンググライダー的なものであり、自然や野生と親和性があるデザインです。

 宮崎駿さんには、特に「飛行体」について、ある種「憑かれた」ものがあるようです。

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 二巻目だけに「ナウシカの装束」特別イラストが付いています。

 アップして見てみましょう。



 



 なんという細かい設定でしょう!

 道具一つ一つに、オリジナルなメカニック構造やその使用形態を設定しています。

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 構想、ストーリー、デザイン、描画をこなす漫画家というのは、とてつもない能力と努力を要すると思います。

 アシスタントがいるといえ、作品の主要な要素を一人で考えるというのは、一人で大スペクトラム映画を制作するのに匹敵するでしょう。

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 しばらく「風の谷のナウシカ」を読めなかった理由はもうひとつありました。

 それは、漫画を流し読みできなくなった自分のせいです。

 一コマ一コマを絵として見てしまう自分、その絵に込められた漫画家の汗や苦悩を感じすぎる自分がいたからでした。

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 これから3巻目へ、そして最終刊の7巻目へと読書旅行は続きます。

 読み進んだ後に「ナウシカ読書旅行記」続編を書いてみたいと思っています。

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参考
 「似ているな〜」が必要な社会
 ナウシカの乗り物を作った人
 純文学映画「風立ちぬ」
 泣かせるホームページ
 「ナウシカ」の心、今いずこ
 本嫌いだった宮崎駿さん
 「コクリコ坂から」いいね!
 ナウシカスタイル