思いがけない武士の仕事

 武士の仕事は?「いくさ」でしょう。戦国時代はそうでした。それでは「いくさ」がなかった江戸時代はどんな仕事をしていたのでしょう。
 江戸時代の武士はとてつもなく暇でした。

 なにせ「いくさ」がないので、やることがない。

 それじゃ存在価値を疑われるということで、彼らは独特の「仕事」を考え出しました。

 その仕事を知るにつけ、現代のお年寄りの意義について再評価しなければ、と私は強く思ったのです。

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 内山節(たかし)さんの著書から引用します。

 (読みやすいように小見出しを付けました)

内山節『戦争という仕事』より

江戸の半分は武家人口

 江戸時代の日本は、生産地としての農山漁村、消費地としての都市というかたちを持っていた。

 もちろん都市のなかにも、生産、流通を柱にしていた大阪のようなところもあったし、どこの都市でも多少の生産はおこなわれていた。

 しかしその生産は、都市の人々の消費的生活と直結した生産であって、そのことは、城下町の町名に、大工町、鍛冶屋町、箪笥町などが残っていることからもわかる。

 いわば、基本的な生産は田舎に依存し、都市では、消費者の求めに応じるものだけが生産されていた。

 このようなかたちにならざるをえなかったのは、都市には武士が集まっていたからである。

 武士たちは、京都の公家をふくめて、ひたすら消費的な生活をしていた。

 江戸の町をみれば、町人の数がかなり増加し百万都市となっていた幕末期でも、半分は武家人口であった。

苦しい武士の言い訳

 それは、江戸時代のいろいろな課題を生むことになった。

 一番大きな課題は、なぜ武士たちが働かずに生きていてもよいのかを説明することであった。

 戦国時代の武士には命をかけて戦うという使命があったが、太平の世にはそれもない。

 役人的な仕事も全員に分け与えられていたわけではないし、その役職も名ばかりで、実際にははとんど仕事らしきものがないのが実情であった。

道徳と倫理の担い手

 この苦しい武士の立場に解決策を提供したのが儒学であり、日本の儒学の中心になった朱子学だったことはよく知られている。

 この理論では、天命にしたがって仁政をおこなうことが王や為政者の使命であった。

 仁政とは徳の高い政治を意味する。

 この考え方にもとづいて、武士は自分たちを道徳の担い手と位置づけ、道徳的、倫理的であることに生きがいをみいだしていった。

出版文化を担った武士

 といっても、それだけを生きがいにして三百年近い時代を生きつづけることは、相当の苦悩を武士にもたらしたようである。

 道徳の箍(たが)がはずれればたちまち腐敗も発生する。あるいは町人的な風情のなかに軽妙な人生をみつけようとする者も出てくる。

 こうして、浄瑠璃、三味線、歌舞伎の真似などが武士の間に流行し、それが江戸の消費文化をますます拡大していった。

 たとえば江戸中期以降になると、江戸には出版文化とでもいうべきものが発生してくるが、その初期の作者たちは大半が武士であった。

 絵双紙から発展した黄表紙や、酒落本といった庶民小説が武士を主要な書き手にして生まれ、江戸の出版文化が生まれている。

 しかもこの動きは、あっという間に市場を拡大し、原稿料で生活する作家的生活を可能にさせたばかりでなく、売れるものを書くのが作家であるという頽廃した出版文化を一般化してしまったのである。

 江戸時代の武士たちは、一方では道徳、倫理の担い手として自己を位置づけ、他方ではそこからこぼれていく通俗文化の担い手を生みだしつづけるなかに、自分たちの世界をつくりだしていた。

 そこに生産活動を離れ、消費のなかに生きた武士の姿があり、江戸という消費都市の現実があった。

現代にも同じ問題がある

 もともと人間たちは、誰もが生産者であり消費者だったのだろうと思う。

 人々は自分の生活で必要なものを生産し、消費しながら暮らしていた。

 このかたちが、社会構造として大規模に破られたのが江戸時代だった。

 そして、この時代の出版文化がそうであったように、消費に主導され、市場から導きだされた生産は、その内部にある種の頽廃をはらんでいた。

 もしかすると、今日の私たちの社会にも、類似した問題があるのかもしれない。

 私たちは、学生までの時期と定年以降に消費者として生きることを義務づけられている。

 とすると、この時期の自分をどう位置づければよいのか。

 江戸時代の武士のように何らかの道徳や倫理を支えとするのか、それとも人生の軽妙さに生きがいをみいだすのか。あるいは、第三の道はありうるのか。

 とともに、消費に主導された生産がはらむ通俗性や頽廃の問題も、今日の私たちの課題でありつづけている。

 いまでは、いかに多くの生産が消費に迎合するかたちで展開されていることか。

 江戸時代は、こうした問題に十分な答えを用意できないままに、崩壊した。

 私は江戸時代というものを、経済価値だけに翻弄されないお気楽な社会と思っていました。

 しかし現代の経済構造、つまり「生産者」と「消費者」の確たる分離は、江戸時代にルーツを持つものだと知りました。

 生産に携わらず消費だけを生業とする現代の「お年寄り(定年退職者)」が、江戸の武士と同じ立場にあるとは、実に慧眼です。

 還暦を過ぎた今、私もその「お年寄り」の扉の前に立ったわけですが、その実感は全くといっていいほどありません。

 しかし気持ちや身体の状態とは別に、消費専門の立場になるという点で「お年寄り」のカテゴリーに移動した、というのには納得です。

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 さて、私はこの話から次のことを学びました。

 「仕事」とは何かを生産することだけではない。

 江戸時代の武士のように「人格」の維持さえも「仕事」とみなされる。

 「存在」そのものが「仕事」なのだ。

 その仕事は、社会に経済価値以外の価値、つまり「人間価値」としての倫理感や道徳感を与えた。

 かつて存在した村の長老、部族の酋長、家長も同様の存在であった。

 「人格」(を示すこと)は集団をまとめ、維持していくために重要な「仕事」であろう。

 きっと現代におけるお年寄りにも当てはまることに違いない。

 こうしてみると90歳になる私の父などは、何もしていないようでしっかり「仕事」をしているようです。

 四度のガン手術にも悲観することなく臨み、耳や鼻がきかないことなど苦にもせず、日々のんびりと節制に励み一人暮らしをしています。
 
 ただいてくれるだけで、私に「精神的強さ」という人間価値を教えてくれるからです。

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 しかし、日々荒み続けるこの社会。

 なんとかお年寄りに敬意を保てる社会にできないものか、そのための社会制度、経済のしくみはどうあったらよいのか、と戸惑う日々でもあります。