「遊びをせんとや生まれけむ」という言葉を思い出しました。芸術は実用品の製作よりも古く、遊びは労働よりも古いのだそうです。
「ネット・サーフィン」ならぬ「ブック・サーフィン」というべきでしょうか。
(少し気が引ける点はありますが)今ではamazonから手っ取り早く本を手に入れることができます。
それで、本を読んで知った本を次々と購入しています。
今ではほとんど飲み会がなくなりましたので、金銭的負担はあまり感じません。
飲み会の出費に比べればずっと安い!
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さて最近、ユニークな思想家を知ることになりました。
沖仲仕の哲学者として知られるアメリカの思想家「エリック・ホッファー」です。
学校も出ず、一生沖仲仕の肉体労働を続けながら思索した方です。
ネットで中古本(しかなかったので)を求めました。
『魂の錬金術』と『エリック・ホッファー自伝』の二冊です。
自伝の方はもう鉛筆の線引きがいっぱいで。。。
しかし、かえって触発されるものがありました。
口絵の写真、表紙の写真はいずれも本人の顔写真ですが、この顔を見るだけでもうイキそうです!
なんとゴツゴツした顔、肉体労働で瘤のように盛り上がった背中、しずかな眼差し。。。
アンソニー・ホプキンスに少し似ています。
この顔を思い起こしながら文章を読むと、彼の匂いや、節くれ立った太い指、訥々とした口調まで想像させられます。
『魂の錬金術』は彼の箴言集です。そこからひとつ引用します。
「魂の錬金術」より
遊び
・・・人間の台頭に大きく貢献した発明や実践の起源をたどると、ほとんどの場合、われわれは、非実用的な領域に到達する。
多くの武器や道具は、もともと玩具だった。
弓は武器になる前は楽器だったし、車輪は道具として使用される前は玩具であった。
アステカ族は車輪をもたなかったが、彼らの玩具の多くは足にコロをつけていた。
土偶は土器に先行し、装飾品は衣服より前からあった。
最初に飼われた動物はペットだったし、穀物が栽培されたのは食糧確保のためではなく、ビールを造るためだったという説もある。
ここ数百年の間に出現した機械の多くも、もともと機械仕掛けのおもちゃだった。
アルタミラ洞窟の天井に比類のない動物壁画を措いた旧石器時代の狩猟民たちは、粗末な道具しかもっていなかった。
芸術は実用品の製作よりも古く、遊びは労働よりも古い。
人間は、必要に迫られてしたことよりも、遊びでしたことによって形作られてきたのだ。
人間の独自性と創造性の源泉は、その子どもじみたところに隠されているのであり、遊び場はその能力と才能を開花させる最適な環境なのである。
東洋の箴言「無用の用」とはよく言ったものです。
それは「遊び」と言い換えることができるでしょう。
機械にも「アソビ」がなければ摩擦熱で焼き切れます。
いわんや人間をや。
遊びは労働を円滑にすることを、人は誰でも知ってはいました。
しかし、「遊び」が人間の最大の特質である「発明工夫」の親であったことを知る人は実に少ないことでしょう。
『梁塵秘抄』にある歌(1180年前後)
「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。」
世の大人たちよ、よりよき創造のために子供時代に帰ろう!(たまには)
効率なんかくそくらえ!(いっとき)