一番安全な生き方

 「沖仲士の哲学者」と呼ばれるエリック・ホッファーの自伝を読んで、実に考えさせられる実話に出会いました。
 エリック・ホッファー(1902-83)はアメリカの社会哲学者です。

 7歳のとき失明し、15歳のとき突然視力が回復。

 28歳のとき自殺未遂を機に季節労働者となり、アメリカ各地を渡り歩きました。

 正規の学校教育を一切受けず、職を転々としながら図書館に通い、さまざまな分野の高度な学問を独学しました。

 40歳から65歳まではサンフランシスコの港湾労働者として働きながら学問と思索を深め、晩年はカリフォルニア大学バークレー校で政治学を論じるまでになりました。

 つねに社会の最底辺に身を置き、独自の思想を築き上げた思想家です。

  →仕事の前に遊びあり

 特に「情熱」や「熱情」についての深い懐疑にもとづく分析は彼の思想の核心といえるものです。

  →情熱のうらおもて

 本日引用するのは、「用心深いお金持ち」クンゼ「何も持たぬ労働者」ホッファーの興味深い対話です。

 現代の私たちが忘れてしまっている「身軽であることの大切さ」を悟らせてくれる文章です。

『エリック・ホッファー自伝(構想された真実)』より

農場主クンゼの遺書

 ・・・ある日、クンゼは私を自分の家に招き、酒と煙草をすすめてくれた。

 彼は季節労働者としての私の生活に強い関心を抱いていたのである。

 「なぜ君のように知性のある人間が人生を浪費しているのだ」と訊き、

 さらに「知らぬ間に、不自由な一文無しになってしまうぞ。安定した生活なしに、どうやって生きていくんだ」 と言った。

 彼は私の答えを待たずに、自分の身の上話を始めたのだが、それは奇妙な物語だった。

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 クンゼはウィスコンシンで生まれ、一八八二年に十七歳でサンフランシスコに行き、材木置場で働いていた。

 ある日、ずっと心に焼きつけられ、彼に人生を形作る情熱を注ぎ込むことになった光景を目にすることになる。

 猪首の若い現場監督が、材木の種分けをしている痩せ衰えた老人に手を貸していた。

 老人は短い方の端を持っていたが、突然、手を放してしまった。指が動かなくなっていたのだ。

 材木は落ちて音を立て、危うく現場監督のつま先に落ちるところだった。

 現場監督は怒り狂い 「このくそ爺!とっとと出て行け。ここは年寄りなんかの来るところじゃねぇ。蹴り出してやる」 と怒鳴り散らしたのである。

 老人はその場で自分のこわばった指を驚いて見つめながら、呆然と立ちつくしたままだった。

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 その事件の日が、材木置場での最後の日となった。

 クンゼは金物屋の店員となり、一つの目標をもち、それに向かって猛烈に突き進んでいく。

 怒号を浴びせる現場監督の姿が、彼に金持ちになることを決意させたのである。

 彼は二十五歳で店長になり、四十歳で大きな金物店の社長になった。

 かなりの財産を築き上げ、ついに安定した生活を得たと感じられた。

 もうクンゼの尻を蹴飛ばす者は誰もいないだろう。

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 ところが五十七歳のとき、クンゼは金の力を信じなくなり、あの怒鳴る現場監督が完全に復活し、彼を後ろから蹴飛ばそうとしているという恐怖心を抱くようになった。

 第一次世界大戦後のドイツやヨーロッパ諸国の猛烈なインフレのニュースが、クンゼをパニックに陥れたのである。

 緑色のドル札が安全な生活の象徴ではなく、差し迫った大惨事の予告になっていた。

 彼は急いでドイツに渡り、無価値になった通貨がもたらした混乱の影響を見て回った。

 かつては夢であり無敵の権力の象徴だった、白い1000マルク紙幣が紙切れ同然になり、ひとかたまりのパンを買うのに数百万マルク必要だった。

 その状態は、第一次世界大戦やロシア革命よりも深刻な史上最悪の大惨事のように思えた。

 金が消えていくのには、何か猥褻なものに似た気持ちの悪い醜さがある。

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 クンゼは、ベルリンとパリとロンドンの米国大使館に立ち寄った。

 彼らは何が起こつているか、わかっているのだろうか−−西洋文明とキリスト教の運命が細い糸で宙吊りになっているというのに。

 貯金や懸命に稼いだ金の価値が失われるのを目にした者は、文明や制度に対する信仰を失ってしまうだろう。

 そして、クンゼは一つの結論にたどり着いたのだった。

 パンと肉を自給できる者だけが安全な生活を得ることができる、と。

 こうして安全への情熱的な追求が、彼を農夫に変えたのである。

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 クンゼが話し終わったとき、私は思わず笑ってしまった。

 クンゼは驚いたようだった。

 そして、「あんたのことは理解できない」 と彼は言った。

 「将来のことを考えたことはないのかい。どうして知性あふれる人間が安心感なしで生きられるんだろう」

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 私は真面目に答えた。

 「信じられないでしょうが、私の将来はあなたの将来より、ずっと安全です。

 あなたは農場が安全な生活を保障してくれると考えています。

 でも革命が起こつたら、農場はなくなりますよ。

 一方、私は季節労働者ですから、何も心配することはありません。

 通貨と社会体制に何が起ころうが、種まきと取り入れは続くでしょうから、私は必要とされます。

 絶対的な安全が欲しいなら道楽者になって、季節労働者として生計を立てる方法を学ぶべきでしょうね。」

 よくできた冗談のように思え、二人とも笑った。・・・

 「身軽であること」「持たざること」、これらが一番安全で幸福な生き方なのだとすれば、

 天はすべての人に等しくその機会を与えた、と言えるでしょう。

 同時にとても困難なものとして。。。

 それは、最終的に「人」が到達すべき境地なのかもしれません。