バーベキューの起源

 先日損保代理店をしている「いとこ」が来ました。彼の会社では男性がみな「バーベキュー・マスター」の資格を持っているそうです。これからの季節、焼く方で大忙しのようです。
 料理は女だけの世界か、といえばさにあらず。

 外でダイナミックに肉を焼くバーベキューは今でも男の仕事です。

 「肉を焼く」ことは「神への生け贄」にルーツがあるようで、そんなことも男の持ち分に影響しているようです。

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 さて、料理は下手でも料理番組やら料理の本は大好きという私が今読んでいるのは、

 マイケル・ポーラン著『人間は料理をする』という本です。

 ジャーナリストである著者が、自ら料理体験を実践しながらさまざまな料理の発祥をさぐっていくという、おもしろい本です。

 バーベキューの起源について、こんな笑い話?が紹介されていました。

 それによれば、豚の丸焼きは中国がルーツであるようです。 

ボー・ボー家の火事と豚

 これは、イギリスの作家チャールズ・ラムが随筆「豚のロースト談義」で紹介した仮説である。

 ラムによると、中国で、豚飼いのホー・ティの息子、ボー・ボーが偶然あぶり焼きの技術を発見するまで、人間は肉を生で食べていたそうだ。

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 ある日、ホー・ティは豚の餌にするブナの実を集めるために留守にした。

 その間に、火遊びが好きで、しかも不器用だったボー・ボーは、火事を起こし、家を焼いてしまった。

 中で飼っていた子豚たちも焼け死んだ。

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 ボー・ボーが焼け跡を眺めながら、父親にどう言い訳しようかと悩んでいると、焼け死んだ子豚から「これまで喚いだこともない、香ばしい匂いが漂ってきた」。

 生きているかどうか確かめようと子豚に触れると、とても熱かったので、とっさにその指を口に入れた。

 「彼の指先には、焼け焦げた豚の皮がくっついていた。彼は生まれて初めて(というより、世界で初めて)それを味わった一皮はパリパリしてとてもおいしかった」

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 戻ってきた父親は、家がすっかり焼けおち、子豚が死に、その死骸に息子がむさぼりついているのを目のあたりにした。

 子豚の死骸を見てぞっとしたものの、息子が「焼けた豚はとてもおいしいね」と言うのを聞き、また、その得も言われぬ匂いに惹かれ、肉を一切れ口に入れ、それがとんでもなくおいしいことを知った。

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 父子はこの発見を近所の人々には秘密にしておくことにした。

 神が造りたもうた生き物を焼くのは神に対する侮辱だと、非難されるのを恐れたからだ。

 しかし時が経つにつれ、奇妙な噂が広まった。

 ホー・ティの家が、頻繁に火事に見舞われるようになったのだ。

 雌豚が出産するたび、家は炎に包まれた。

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 父子の秘密がついに明かされると、近所の人々も同じことを試し、その結果に驚いた。

 そしてこれが盛んになっていった。

 子豚をおいしく食べるために家を焼く慣習は大いに流行し、建築の技術や学問がおろそかになるのではないかと人々が心配するほどだった。

 (「人々は次第に粗末な家を建てるようになった」とラムは書いている。「今やどちらを見ても、火事ばかりだ」)

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 だが、幸いなことに、やがてひとりの頭のいい人間が、「家を一軒丸ごと焼かなくても」豚の肉は焼けることに気づいた。

 まもなく焼き網が発明され、焼き串も作られた。

 こうして人間は、火で(正確には管理した火で)肉を焼く技術を、発見したのである。

 豚の丸焼きの魅力ゆえか、そのつど家まで丸焼きとは、なんとも大胆なボー・ボー一家です。

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 もう一つ西洋ルーツのお話しもありました。

 旧約聖書で、洪水が引き、ようやく乾いた地面に降り立つことができたノアは、動物を丸ごと一匹焼き尽くし、煙にして神に捧げました。

 その煙(なだめ)の香りをかいで主ヤーヴェはこう言ったそうです。

 『人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、このたびしたように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい』(創世記8:20)

 肉の丸焼きの匂いは人間のみならず、旧約聖書の(あのどう猛な)天の神まで魅了したようです。

 神は食物をとらないので、生け贄の目的は芳ばしい煙と共に届く「肉の痕跡」にあるそうです。

 「神様は肉をあぶる煙を喜ばれ、人間は、あぶった肉をおいしく食べる。実に都合がいい」

 バーベキューの起源は「肉を焼く煙」にあり。

 納得です。

 日本の八百万の神々への生け贄だったなら、「うなぎ」や「さんま」だったかもな〜。

 旧約聖書の神さまとは性格が違いますから。。。