現代の「バベルの塔」

 大飯原発運転差し止めの判決が出ました!びっくりすること自体が本当はおかしいのでしょうが、やっぱりびっくりしました。
 国民世論とは反対に、政府が堂々と進める原発復活に怒りを通りこして空しさだけがつのる日々でしたから。

 ところが、焼け跡にいまだ抵抗の陣地が残っていたがごとく、地裁から予想外?の判決が下されました。

 高裁、最高裁ではどうかな?という思いはあるにせよ、まずは一矢報いた感じです。

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 さて、あの地獄の黙示録から三年以上もすぎました。

 収束などできない福島第一原発という地獄が今まだそこにあるのに、霞がかけられて当時の恐怖心が薄れている自分に気づきます。

 そんな折、偶然読んでいた本の後書きを読みハッとさせられました。

 それは『ユダヤ教の誕生』という本です。

 なぜこのような本を読んでいたかといえば、先日バーベキューのルーツがが生け贄のかわりであったというのをある本で知ったからです。

  →バーベキューの起源

 この本で、旧約聖書の物語と今が重なる文章に出会いました。

 それは「バベルの塔」のことです。

 現代のバベルの塔はドバイの超高層ビルではありません。

 なんと!すぐ近くにあったのです。

荒井章三著『ユダヤ教の誕生』より

文庫版あとがき

 『ユダヤ教の誕生 「一神教」成立の謎』が「選書メチエ」の一冊として出版されてから、一五年が経過した。

 その間、日本のみならず、世界のいたるところで、さまざまな出来事が生起した。

 最も身近な出来事は、「東日本大震災」である。

 選書メチエ版の「あとがき」で、「阪神大震災」が私の仕事に大きな影響を与えたことを書いたが、今回の大震災・大津波は、ヨブでさえ、神を呪いたくなるような大惨劇をもたらした。

 しかしながら、その一方で原子力発電所の崩壊には、あまりにもオプティミスティックな「安全神話」のなかに潜む、神を畏れぬ人間の傲慢さを思い知らされた。

 あれは、まさに現代の「バベルの塔」の崩壊であり、放射性物質の拡散による無辜の民の不本意な移住にいたっては、あの「バビロン捕囚」以外の何物でもないと言えるであろう。

 また9・11のアメリカ同時多発テロは、「一神教」のもつ非寛容さの危うさを明るみに出した。

 トーマス・マンは短編『掟』(佐藤晃一訳、全集第八巻所収)のなかで、モーセが、人の目に映らない神の存在を説くことがいかに困難な事業であるかを述べているが、倣慢や悪の神もまた、目に見えない存在であることも確かであり、それを排除することも同じように困難な作業であろう。

 研ぎ澄まされた時代感覚なしに、正邪の区別をするのは、容易ではない。

  (後略)

 2012年(阪神大震災第18年、東日本大震災第2年)12月1日


                                

 著者と同様に、旧約聖書の時代がもはや昔とはいえそうもない時代に生きていることを実感し、慄然としました。

 あまりにも大きなバベルの塔、その塔にあこがれや誇りを抱くあまりにも多くの人々。。。

 なんと巨大かつ堅固な塔であるのかと思い知らされる日々でした。

 しかし、今はこう考えようとしています。

 人の考えがどうであれ、世がどう変わるのであれ、自分だけは大切なことを忘れずにいよう、抵抗を続けていこうと。

 とはいいつつ孤独は気持ちを暗くします。

 せめて身近な家族や友人たちだけとは気持ちを共にしたいものだな〜、というのも偽らざる心境です。

参考
 未来ケイサツ
 「鳥羽僧正」と会う
 「猿の惑星」外伝