相撲をとる神さま

 大相撲夏場所、鶴竜も遠藤もイマイチでしたね。さて、名横綱白鳳を超えそうな逸材がでてきたそうです。十両優勝した逸ノ城(いちのじょう)というモンゴル人力士らしいです。
 ラジオでスポーツ評論家が語るには、遠藤をしのぐ実力のようです。少し複雑な心境です。。。

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 さて、歴史上もっとも古いスポーツは何なのでしょうか?

 古代アテネのマラソンでしょうかね。

 格闘技ならやはり相撲では?と最近思い始めました。

 なにせ旧約聖書には、唯一の神さま(ヤハウェ)が人間ヤコブと相撲をとって、しかも神様が負けたと書かれているんですから。

 モンゴルやらヨーロッパやらエジプトやらと、今じゃ力士がグローバル化した相撲ですが、もともとあちらの国にもあったんですね。

荒井章三著『ユダヤ教の誕生』より

 ヤコブはラパンのもとで一四年間働いたのち、ラパンのところからカナンに逃げ帰るが、その途中のヤボクの渡しで起こつた出来事を例として取り上げる。

 その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女(そばめ)、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。

 皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、ヤコブは独り後に残った。

 そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。

 ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。

 「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。

 「いいえ、祝福してくださるまでは離しません」。

 「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った。

 「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ」。

 「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。

 ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をぺヌエル(神の顔)と名付けた。

 ヤコブがぺヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。

 ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。

 こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。

 かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。

 (「創世記」 三二章二三〜三三節)

 (著者は「腰の筋」とは婉曲的な表現であって、おそらく性器のことであり、「腿の関節を打った」というのは「急所を蹴った」とでも訳すべきである、と書いています。)

 神様が「ちょんまげつかみ」ならぬ、「急所蹴り」という反則技を繰りだしたわけですからユーモラスでもあります。

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 ヤコブの経歴を示しておきます。(ヤコブはアブラハムの孫、アブラハムはノアの息子セムから数えて10代目)

 それにしてもユダヤ教の唯一神ヤハウェのなんたる人間臭さ?、どう猛さ。。。

 なにせヤハウェは、ヤコブの祖父アブラハムにも、彼が100歳にしてはじめて授かった(正妻サラとの)息子イサクを生け贄にせよと命じたくらいですから。

 神さまはもともとアブラハムの忠誠を試すつもりだったらしく最後には許されましたが、従うアブラハムにもびっくりしてしまいました。

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 いったいいつから「神様」というものが、全知全能、正義、真実、無限の愛という価値に変わったのでしょうか?

 ギリシャ神話も日本の古事記も、ユダヤ教の神様に負けじ劣らず、人間よりも人間臭く、嫉妬深く、残忍で、どう猛で、欲深に描かれている場面がけっこうあります。 

 大昔の人々の天上感は、世界中どこもみな似通っていたようですね。

 『古事記物語』(福永武彦著)を読んでいると、あれ!ギリシャ神話とそっくりだ、とびっくりさせられることがあります。

 きっと正倉院やその宝物がヘレニズム文化の影響を受けていたように、神話も大昔からグローバルな情報伝達があったのかもしれません。

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 さて、相撲の本家を惑わすおまえは売国奴か!と言われそうですが、そうじゃありません。

 大丈夫です。

 日本の「古事記」には相撲のルーツがシッカリと書かれています。

  →相撲の起源

 それにしても日本の神様の名前は覚えるのが大変です。

 名前はもとより、長〜い物語である古事記を口伝した稗田阿礼の記憶力は大変なものと感嘆せざるを得ません。

 コンピューターがなかった時代には人間コンピューターが代わりをしたんですね。。。