全体最適が一番!

 仕事も社会もめざすべきは「全体最適」ではないでしょうか?一人ひとり、一つ一つの性能の高さは「個別最適」で、期待した結果につながらないことも多いようです。
 「全体最適」の考え方はトヨタ生産方式を勉強して知りました。

 従来、大量生産においては時間あたり、一ラインあたりの生産数量重視の考え方が主流でした。

 それゆえ生産方式もロボットのような単工程、単純作業の分業型流れ作業が基本でした。

 それをやめてトヨタは一見超非効率な一人多工程持ち一個づくり生産方式に変えました。

 最初から最後までの工程を、一人で、ゆっくりと、良いもの(だけ)を、一個づつ作っていくほうが最終的には一番効率が良いという、コペルニクス的生産革命でした。

 なんたる革命的思考かと心底感激しました。

 しかも、不良が出たら原因がわかり対策するまで全工程ストップ、というのも驚きです。

 いつまでも止めておけないから全工程から人が集まり、真剣に速やかに対策を立てねばならない、そのしくみこそかえって全体の能率が良いという発想です。

 さらにトヨタの実践生産哲学は進化し、多能工から多機能工へと進化して行きました。

  →民話SF「とよだ国の物語」第二章

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 どんな会社でも優秀な人材や効率よき機械を求めます。

 しかし「優秀」というのは、よくよく考えねばならない言葉です。

 一般的に「優秀」といわれるのは「個別の性能」が高い人や機械をいうことがほとんどです。

 ところがこれを工場の流れ作業で考えるとどうなるか。

 1時間に100個できる人のラインに120個できる人が混じっても、決して生産数は120個にはならず100個のままとなります。

 それは手待ちの無駄を生じさせるか、自分(自工程)の在庫を増やすだけということになるだけです。

 個別に優秀であっても全体の結果がよくなることにつながるとは限らないわけです。

 つまり「個別最適必ずしも全体最適にあらず」です。

 それでは「真の優秀」とは何か? 

 次のように定義できるのではないでしょうか。

 真の優秀=「全体最適」に寄与する能力が高い

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 全体最適を考えるためには、やはり「能力」というものを再吟味すべきかと思います。

 「能力と「性能」は異なるものだと思います。

 「能力」とは「創造力」であり「性能」は「競争力」です。

 それをごっちゃにして考えるところに、仕事でも社会でも問題の遠因があるような気がします。

 →ノボ辞典「能力」「性能」

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 全体最適につながらない個別最適の例を、身近なところから拾ってみました。

 皆さんも経験上「あっ、そうそう!」と思うのではないでしょうか?

 ○仕事はできるが協調性が足りず、メンバーの非能率を責める人

   →浮き上がり、お局様などもこの種族です。
    会社のチームワークを乱し、人の育成もままならず、
    この人がやめるか会社が左前になるかです。

 ○たった一人しか操作やメンテができない高性能機械

   →担当者の長期入院とか退職があったらどうでしょう。
    会社はこの機械を持て余してしまいます。
    性能は半分でも楽ちん操作の機械を二台買うほうがましです。

 ○他部門とのデータ連携性が乏しいソフトウェア

   →部門間の連携不足は二度打ち三度打ちとなります。
    無駄がなくならないので決算書が良くなることはありません。
    部門間の軋轢は深まり、結果的に投資分だけ赤字。

 ○そして極め付けが、「原発」です。

   →一基当たりの発電能力は高いです。
    しかし原料から廃棄までの全サイクルを考えると膨大な浪費。
    事故が起これば国土は元も子もなき壊滅。
    人で言うなら、経理を投資家に、運送を暴走族に、
    守衛を殺し屋に任せたようなものです。
    強力にはちがいないが凶悪、もはや犯罪です。

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 でも実際そういう見かけの「個別最適」に惹かれる人が多すぎるんですね〜。

 バブルのころに大きな会社の経理部がみな投資部(博打部?)に変わってしまったのも、もとをたどれば「全体最適」とは何かをよく考えなかったためとも言えるでしょう。

 優秀な人材がほしい!と渇望するのもそのせいです。

 優秀な?人材だけでしかまわせないしくみこそ問題なのに。。。

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 しごとにおける全体最適をわかりやすく言うとどうなるでしょう。

 手前味噌ですが、私の会社(ソフトウェア開発)の製品コンセプトの説明に使っているイラストを紹介します。

  →レッツくんが行く!

 全体最適=しごとの「整流化」


 
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 「全体最適」の考え方は、しごとだけではなく、社会や地球にも当てはまる大事な考えです。
 
 経済活動のグローバル化、富国強兵、競争原理の政治方針、ナショナリズムの対立、TPP問題・・・

 これらは個別最適だけにつながるのか、全体最適につながるのか、考える必要があると思います。

 低きところにすべてが流れ、低きところに落ち着くことが全体最適ではないと思います。

 わたしたちが考えるべき「全体最適」の「全体」とは何なのか、何にすべきなのか?

 一人ひとりがその問いを持たなければ、個別最適を求めすぎることによる弊害が、私たちを苦しめることになると思います。

参考
 どう違う?三つの数式
 怒り方、ふたつ
 民話SF「とよだ国の物語」第三章
 民話SF「とよだ国の物語」第二章
 民話SF「とよだ国の物語」第一章