友人が四国に行った話

 友人が宮城から車で四国へ旅行してきました。土産を届けにきた彼はこんな話をしていました。

(旅行中の一コマ)

 四国旅行は「やじさんきたさん」二人旅行でした。

 友人は39歳、相方さんはたしか65歳かな。

  (実名ではなく相方(あいかた)さんと呼ばせていただきます)

 相方さんは、去年かな一昨年かな?、長年勤めていた地元の建設資材卸会社を退職した方です。

 私も以前から仕事(コンピューターシステム関係)でお世話になっておりました。

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 さて、父と息子のような組み合わせの二人旅行って、とても珍しいことです。

 友人(39歳のほうです)は、以前私の会社にいました。

 それで二人とも仕事つながりだったのですが、とても気が合うらしく、相方さんが退職後ちょくちょく一緒の小旅行をしていたようです。

 今回の四国旅行は相方さんからの提案だったそうです。

 二人で交互に運転しながら四泊五日だったか五泊六日だったかの中旅行となったわけです。

 天気にも恵まれ先日帰ってきましたが、その後すぐ四国は豪雨となりましたから運も良かったようです。

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 さて、帰ってきた彼はこんな話をしていました。

 「(相方さんは)旅行の日程計画を時間刻みでびっちり立ててたんですよね〜。あんまり細かいのでびっくりしました!」

 「窮屈かなと最初は思ったんですが、かえってのんびりできたんです」

 「計画があるから迷わないで済むんです。なのでその分、その土地をゆっくり味わえるんですよ」
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 なるほど、あの方らしいな〜と私も仕事でお世話にになっていた頃を思い出しながら頬がゆるみました。

 相方さんは会社の経理担当役員の方でした。

 業績のいい会社で管理がしっかりした会社でした。

 その最大の要因は、相方さんの考え方と管理のしかたにありました。

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 彼の仕事に対する考え方とはこうでした。

 「どんな好況の時でも不況時のことを考える」

 だれでも当たり前だろう、と思うでしょう。

 ところが、これくらい「言うは易く行うは難し」のことはないと私は思います。

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 実際どのような管理をされたかといえば、こうです。

 「贅沢をしない」

  必要に応じて増設していくシンプルな建物、抑制した役員報酬、交際費や宣伝費をあまり使わないなど、実に地味でした。

 「自給自足のシステムつくり」

  業者任せで脅してやらせる、こんな会社も実際多いんです。

  ところが相方さんは私たち業者を先生のように扱ってくれました。

  お客さんなのに(システムの)自給自足をするために自ら率先して謙虚に学んでくれたのです。

  さらにシステムの小さな改善工夫を継続していきました。

  いい例が、私の会社の原価管理ソフトを使っている建設会社と、この会社の請求システムのデータ連動です。

  その建設会社はほとんどこの会社から材料を仕入れていました。

  建設会社からだったか、相方さんからだったか、どっちからの提案だったか忘れてしまいましたが、請求書をそのまま登録できる電子データで渡すしくみにしました。(十数年以上も前のことですからフロッピーなんですが)

  そうすると、建設会社では仕入(原価)を入力する必要がなくなったわけですね。

  資材卸会社としてもこの建設会社とより密接になり、固定客化がますます進むことになったんですね。

 「経理を流れ作業にする」

  経理という離れ小島を作らずに、見積、発注、仕入、販売から経理までの情報の流れを一元化しました。

  そうすると全社全部門のチームワークが必要となってきます。

  結局みなが全体最適を考えるようになっていくわけです。

  相方さんは部門間の根廻しをしながら、時間をかけて根気よく無理なく行っていったんですね。

  つまり穏健なリーダーシップを発揮してボトムアップを育てたわけです。

   →全体最適が一番


 「部下を育てる」

 特定の人しかできない仕事をなくそうと考え、標準化のためにパソコンシステムを導入しました。

  事務系の若い女性陣を主に(仕事の中で)敬意をもって丁寧に教育し、仕事の流れを整えました。

  お局さん的な体制を徹底排除したしくみのおかげで、相方さんが退職された後でも、何の問題もなくかつて部下であった(当時若い)女性数名がチームプレーで引き継いでいます。

 「取引先を助ける」

  建設業は好不況の影響が極端にきます。

  最近ではリーマンショックの大きな落ち込みがありました。

  この会社では、長年お世話になっている建設会社が危ないのを知ってて、あえて資材を供給していました。

  つまり、なぜ好況時にも堅実経営を貫いていたかといえば、自分の会社のことだけでなく、不況時にあえて行う貸し倒れを考えていたからです。

  そのようなことをしても大丈夫なように、過分の内部留保を積み上げていたのです。

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 最後の「取引先を助ける」ってすごいな〜と思います。

 やはり宮城県の優良企業(製造業)で、同じような考えの社長さんがおりました。

 ずいぶん前ですが講演していただいたことがあります。その時のエピソードをついでに紹介します。

社長さんのこと

 社長さんは、たたき上げの職人から一代でこの会社を築かれました。

 飾らず、明るく謙虚な方で、講演会にお招きした際も参加者全員に自工場自慢の技術で作ったダイカストバックルのついたベルトをプレゼントしていただきました。

 長年お付き合いのあるコンサルタントの先生がこんな話を私に教えてくれました。

 「リーマンショックの時、必要がなかったのに多額の借金をしたそうです。それは協力工場に資金を融通するためだったそうですよ」

   →技術者が営業マンの会社

 こうしてみると「温かき人間力」がある会社だけが、社会に存続していけるのだろうな〜、いや存続する価値があるのだろうな〜と思えるのです。

 オムロン創業者立石一真さんの名言を思い出します。

 「最もよく人を幸福にする人が、最もよく幸福になる」

  →昔のベンチャー社長

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 それにしてもわが友人は「善き人」に気に入ってもらえて幸せです。

 どちらも人格に似た要素があるからでしょう。

 年齢を超えた親友関係。

 ほんとうにすばらしいことだと思いました。