Uボートの話

 戦争はそれこそ大嫌いです!でもけっこう戦争映画は好きなんです。特に潜水艦ものとかが。
 なんといっても最高は、ウォルフガング・ペーターゼン監督『U・ボート』ですね〜。

 DVDも買い、今までに4回も観ました。

 艦長役がすばらしい!

 音楽も荘重でとてもいいです。

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 それと1957年のアメリカ映画『眼下の敵』ですね〜。

 これもUボートの話です。

 こちらも3回観ました。

 駆逐艦の艦長ロバート・ミッチャムとUボートの艦長クルト・ユルゲンス。

 戦いは相打ちとなり、救助された二人が甲板で交わす心の交流には何か救われた気がしたものです。

 どちらの映画も艦長役がしびれるほど魅力的でした。

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 十数年前、ロシアのウラジオストクに父や娘たちと一緒に行きました。

 父が3年半抑留されていた地です。

 そこで第二次世界大戦で使われていた本物の潜水艦を見学しました。

 入ってびっくりしました!

 こんなにも狭いのか。。。

 想像を絶する劣悪な居住環境でした。

 若い私がこんなのに乗って戦えと言われたら、一週間ぐらいで気が狂っていたことでしょう。

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 Uボートの映画が何度も見るに堪えるのは、戦争の悲惨さ、愚かさ、極限状況における人間の限界みたいなことを感じさせてくれるからでしょう。

 調べてみるとびっくりです。

wikipediaより

 第二次大戦では、1,131隻が建造され、終戦までに商船約3,000隻、空母2隻、戦艦2隻を撃沈する戦果をあげ、引き換えに849隻のUボートの損失を出した。

 なんと75%の死亡率です!

 「潜水艦に乗れ」ということは「必ず死んでこい」と同義に近かったことでしょう。

 二十歳で招集され、シベリアに抑留された父、同じ歳の自分がもしそうだったらと思うと、「正義」とか「誇り」とかう言葉が私には空疎に響きます。

 臆病者と言われるでしょうが、このような想像力も大事なことではないでしょうか?

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 一週間くらい前になりますが、横浜の中学生が修学旅行の長崎で原爆語り部の方を「死にぞこない」と罵倒した、という事件が報じられました。

 私がシベリア帰りの父を罵倒するようなことと同じです。

 このような険しい風潮にどうしてなってしまったのか、実に悲しいことです。。。

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 以前書いた「いくさの話」を思い出しました。


(香月泰男 かづきやすお シベリア・シリーズ「点呼」)

『詩集ノボノボ』より

いくさの話

 もう何百回 聞いたことだろう

 父の戦争体験記 シベリア抑留記

 そして帰国後のあれこれ とまどいを


 終戦の前の年 学徒動員やらで

 貨車に 貨物船に 家畜のように積みこまれ

 博多へ そして北朝鮮へと送りつけられた 

 二十歳の初年兵 父

 ロシア軍機 機銃掃射の音 逃げまどう父

 凍ったシベリアで 銃殺される 

 仲間だった 脱走兵


 あまりのひもじさに

 毒セリと知らずに食べて

 もがき死ぬ 捕虜仲間 


 四年後 帰されて 教員となり

 社会科を教えろと言われても

 天皇陛下万歳から

 民主主義の世の中へ 変化が強すぎて

 シベリア帰りじゃ 追いつかない


 そのうちに結核になってしまった

 戦争 シベリア 病棟

 これだけが 父の青春

 生きて帰れただけ 幸せではあったが


 だからかな〜 

 私は とても拒絶反応が強い

 「正義のために戦う」という言葉


 だいたい 変なことだらけ

 どこの国でも いつの時代でも

 「戦え」という人は 「戦えない」老人だけだ

 「戦う」人は 何も言わない

 臆病者と言われたくないしな〜

 そして 死んでいく


 変なことの きわめつけ

 「戦う」に 「負け」は入っていない

 これって 当たり前だろうか?

 半分の確率で

 どちらかは 必ず「負け」のはず


 「いくさ」を肯定する人は

 とっても 無責任じゃないかな〜

 負けたらどうなるかって

 とどの最初から 考えに入れてない


 いっそ こうなればいい

 戦士の年齢は 五十歳以上

 自称愛国者から 前線へ

 女性の愛国者も 前線へ

 もちろん もうあがった人だけ

 →「戦う」と「闘う」

 →ノボ村長の「思い出アルバム」

 →ノボ村長の「詩集ノボノボ」