「地球」というより「水球」

 詩人川崎洋さんがいいこと書いていました。人類はもっと謙虚にならないといけないな〜とつくづく思います。

 海に住む生き物については食べ物として以外あんまり考えたこともありませんでした。

 この文章を読んでイルカの先祖は「シカ」(の仲間)と知りました。

 そういえば、別な本でクジラの先祖は「カバ」(の仲間)と書かれていました。

 私たち人類の遠い遠い先祖は海で生まれたらしいですが、やがて海に還っていった(ほ乳類の)仲間もいたんですね〜。

 『ことばの力』から引用いたします。

イルカは人間についで頭がいい

 この間、『テレトピア』という雑誌に、外山滋比古さんと、水江一弘さん(当時の束京大学海洋研究所資源生物部門教授)の対談が載っていて、そのなかのイルカをめぐる話が、わたしにはおどろきでした。

 まず、わたしはこれまで、人間についで頭がいいのはチンパンジーだと思っていましたが、水江さんのお話によれば、イルカはチンパンジーとは段違いに優秀なのだそうです。

 そして外山さんもおっしゃっているように、わたしたちがチンパンジーを高等動物とみなすのは、その形態が人間に近いからなのですね。

 なんという自己中心!

 すべての動物は人間にどれだけ近いかによって優秀のランクが決まると、てんから思いこんで疑わなかつた。

 これはイルカに対してまことに失礼なことであったと反省したことでした。

人類が栄えたわけ

 すると、たとえば、音楽を聞かせたら、植物の育ちがよかったり、いい花を咲かせた、という詰も、ほんとうだろうという気がしてきます。

 枝を切ろうとしてハサミを手にその木へ近づいていくのと、水をやろうとジョウロを持って近づくのとでほ、木はまるで別の反応の仕方をするのであって、ただそれが人間には見えないだけなのかもしれない。

 人間は物を見るのに目を使い、開くのは耳で、かぐのは鼻です。

 だから、たとえば魚に対すると、魚の耳はどこだと考え、メクラウオのように、目が退化して形だけ残っている種類をみると、びっくりしたりします。

 もっとも、人類はそれほど自己中心的で、かつ攻撃性を具えていたからこそ、地球という星で、こんなに栄えたというか、はびこったわけでしょう。

 というのも、地上は酸素はたくさんあるけれど、食物を手に入れるのが海のなかとは比べものにをらないくらい困難で厳しいので、地上の生物たちは、そのための大変な努力をしながら今日に到った、そして人類は、今のところそれに勝ったのだといえます。

 その点、イルカは五千万年ほど前に、やはり海のなかがいいからと、海へ帰っていったシカの仲間だそうですが、海のなかは、ほとんどといっていいほど敵はいなくて、口を開けて泳げば餌がひとりでに入ってくるから、まず努力しなくていい、毎日遊ぶことが仕事みたいなものです。

 前記の水江さんによると、もしイルカが努力をしていたら、人類は今みたいに栄えなかっただろうということです。

「地球」というより「水球」

 よく言われることですが、「地球」という呼び方も、いかにも人間中心的ですね。

 「地球」というより「水球」といえ、とイルカたちが主張したら、われわれは言い返すことができません。

 表面積からすれば、海はその70.8%を占めるのですから。

 海のなかの世界について、そこに住む生物たちについて、これまでびっくりしたことをここに書き記していけば、もうそれだけで、この本のページは埋まってしまうでしょう。

 なんと、そのうえに、親しいある水族館の館長さんから聞いたところによると、海のなかには、わたしたち人類がまだ出会ったことのない、いわば未知の魚がたくさんいるだろうとのことで、その種類は、タイヤサバなどそのほかのすでに知っている魚の二倍にのぼると推定される ー とのことでした!

 いや、海のなかはそれとして、陸上だって、あらためて見直すと、「へえ!」と、びっくりすることがあります。

木というのは、おどろくべき存在

 今、この本の原稿を書いている書斎の窓から、たくさんの木が見えます。

 考えてみると、木というのは、おどろくべき存在です。

 次の詩は、わたし自身の木に対するおどろきから生まれたもので、ある子ども向けの雑誌に出したものです。

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木はえんそくにいかない

  木はえんそくにいかない

  木はしっこもうんこもしない

  木はねるのも立ったまま

  木はくしやみをしない

  木はソフトクリームをたべない


  ほんとうは 木は

  くちぶえをふくのかもしれない

  おどろいたとき

  泣くことだってあるかもしれない

  ひとりごとをいうのかもしれない


  でも

  木は木をきらない

  そして

  百ねんも千ねんも生きる

 太古より大自然のサバイバルを生き抜き、能力を高めて地球をわが王国とした人類。

 やがて他の動物と戦う必要がなくなると人類同士の争いに転化して行きました。

 そのDNAは現代を生きる私たちにも残っています。

 科学という道具を使った人類の果てしなき能力の追求は、人類の傲慢さをも日々助長しつづけているようです。

 とてつもなく長い時のスケールで考えれば、人類(という種)の最後の希望はどこにあるのでしょう。

 それはロケットで向かう遠き宇宙ではなく、まだまだ未知の「海」にあるような気がします。

 あるいは数千年も生きる「木」というものへの変容かも。。。

 放射能、武器、争い、それらを正当化し助長していく「効率」や「正義」や「誇り」という言葉の氾濫。

 つい遠くに目を向けざるを得ない心境のこの頃です。