宮崎駿監督はアニメの登場者に感情移入しすぎてしまうのだそうです。それで情が入りすぎストーリーが紆余曲折するのだそうです。
と、鈴木敏夫さんが書いていました。
さて、宮崎駿作品のベスト3はと問われれば、オーソドックスですが、私は「ナウシカ」「トトロ」「ラピュタ」ですね〜。
その「トトロ」は監督のノスタルジアが強く、儲けなくたっていい(損してもいい)と思って作ったんだそうです。
ところが、「欲を捨てると福が追いかけてくる」ということでしょうか。
『トトロ』はジブリの金庫に今に至るも最高の利益を与えてくれたそうです。
皮肉なことに、映画のほうはさっぱりだったらしい。
なんとテレビ放映で大ブレイクしたそうです。
その後マスコットをつくったらこれまたヒット。
お金のほうは映画ではなくこれらが稼ぎ出したらしいんです。
『仕事道楽 新版』からジブリ話の第三話です。
「これでサツキは不良にならないよね?」
いかにも宮さん、というエピソードは、やはり『となりのトトロ』(以下『トトロ』)のときでしょうか。
あの映画はご存じの方が多いと思いますが、サツキとメイの姉妹が主人公で、お母さんが病気で入院しているという設定です。
サツキは六年生で、しつかりお母さん代わりをやっています。
絵コンテができていくのを見ながら、ぼくはあれは不自然だと思ったんですよ。
子どもというのは、やろうとするがなかなかできず、失敗ばかりしてしまう。
それが子どもらしさでしょう?
完璧にやってのけるサツキちゃんという子に対して、強い違和感を持った。
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そのことを宮さんに言いました。
「こんな子がほんとにいるわけがないじゃないですか」。
そのとき、ぼくも若かったからですけど、さらにこう言った。
「こんなことを子どものうちから全部やってたら、サツキは大きくなったときに不良になりますよ」。
このとき、宮さんは本気で怒りましたねえ。
「いや、こういう子はいる。いや、いた」。
何を言うのかと思ったら、「おれがそうだった」。
宮さんは男兄弟ですけど、お母さんがずっと病気で、彼がみんなのご飯を作ったりとか、お母さんの代わりをやっていた。
そういう思いがあったので、彼はお母さん以上に立派という、理想化したサツキを作り出したわけです。
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そのときは怒りましたけど、宮さんはこれを覚えていた。
もともと、他人の指摘は真摯に受け止めてくれる人なんです。
あるときにぼくを呼んだ。「ちょっと来てくれ」。
何かと思ったら、お母さんが死ぬんじゃないかと心配してサツキが泣くシーンがあるでしょう、そこのシーンの絵コンテができて、「鈴木さん、見て」と言うんです。
「お、ここで泣くんですね」と言ったら、「泣かせた」と言うんですよ。
そして「鈴木さん、これでサツキは不良にならないよね」。
ぼくが「なりません」と言うと、宮さんは「よかった」と喜ぶ。
いい大人なのにもう子どもみたいですよ。
純粋な人なんだとあらためて思いましたね。
宮崎駿さんの生い立ちを調べてみたら、ほんとに『トトロ』と同じでした!
→プロフェッショナル「宮崎駿のすべて」より引用させていただきました。
彼は、昭和16年に4人兄弟の二男として東京に生まれます。
胃腸が弱く、医者には20歳まで生きられないかもしれないと言われます。
6歳のとき、母親の宮崎美子さんが病気になります。
結核菌が脊髄を侵すもので、おんぶしてとせがんで、涙ながらに断られます。
無理していい子を装いますが、「生まれてこなければよかった」という気持ちが出てきます。
癒してくれるものはマンガでした。
手塚治虫さんのマンガに熱中し、自分でも描き始めます。
サツキが宮崎駿さんだっただけではなく、母上までもが『トトロ』のストーリーと同じだったのです!
(もしかしたら『風立ちぬ』は母上の物語だったかも?)
(これも居酒屋のトイレにありました)
高畑勲さんは『トトロ』をこう評したそうです。
宮崎駿のもたらした最大の恩恵はトトロだとわたしは思う。
トトロは普通のアイドルキャラクターではない。
彼は所沢だけでなく、日本全国の身近な森や林にくまなくトトロを住まわせたのだ。
トトロは全国のこどもたちの心に住みつき、こどもたちは木々を見ればトトロがひそんでいることを感ずる。
こんな素晴らしいことはめったにない。
高畑さんは、「『トトロ』 はぼくらがめざしたものの頂点だ」という言い方もしていたそうです。
中年、老年の大人がアニメやキャラクターを創造し、子供に夢を与えるというのは実にすばらしい仕事だな〜とうらやましく思います。
きっと「子ども心」を忘れずに持ち続けているからできるんでしょうね〜。
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『仕事道楽 新版』より
「千と千尋」がキャバクラ?
アーティストは話が長い