病院であれこれ物思い

 89歳になる父が急な腹痛、腰痛で緊急入院したのは土曜日の朝でした。昨日から回復に向かいやれやれでした。
 入院したのはわが町にある公立の(小さめな)総合病院です。


(この病院の売店は町にある授産施設が運営しています)

 病人には申し訳ないが、私もえらく疲れました。。。

 土曜も日曜も休日ゆえ、入院とはいっても点滴と痛み止めの応急処置だけ。

 痛みもあまり引かず、今度は発熱し、背中をマッサージしたりで、付き添いの私もだいぶ疲れてしまいました。

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 入院三日目の月曜日、ようやくCTやら何やらの検査が始まりましたが、結果はまだ教えてもらえず。

 翌四日目はMRI検査、ようやくこの日の夕方正式な病名を教えてもらいました。

 「癒着性腸閉塞」でした。

 思わず「良かった!」と思いました。

 なにせ父は病気のデパートみたいな人でした。

 がんの手術だけでも胃、大腸、膀胱で累計4回、そのほか小さい頃は盲腸、肋膜炎、シベリア抑留時代は狭心症、帰国後は結核、50代にはメニエル氏症候群。

 きっと今度も回復が困難な病気じゃないかと不安に思っていたからです。

 予想していたあれこれの病気に比べれば「腸閉塞」なんて「風邪」みたいなものと思えたのでした。

 MRIでは骨の検査をしたのですが、こちらは申し分なしの品質だそうです。

 (多少弱い方がいい歳頃というのもあるわけで。。。)

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 おかげさまで入院4日目から快方に向かい、食事もできるようになりました。

 女房のほうは孫がまた高熱を出したりで看病に忙しく、夫婦で介護事業をしているようなものです。

 若い頃はすぐに体力も回復したものですが、61歳にもなると(人によって差があるでしょうが)心配事が重なると疲れが日々大きくなっていきます。

 夫婦で疲れて、いがみ合いをするような日が多くなってきました。

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 父は身体は良くなってきましたが、その反動で「万能感」みたいな気分が生じ、また無茶をしそうで心配です。

 無茶というのは「自動車の運転」です。これが今、私の一番の悩みの種です。

 なにせ若い頃から趣味が「ドライブ」で、ここ二十年は10キロほど離れた森に車で行き、散歩をするのが唯一の楽しみなのです。

 ですから、いくら言っても車を手放しません。

 おだやかな反面、気丈でもあり、一人で生活することをなんともしません。

 父も同世代の(故)小野田寛郎さんと通じるところがあります。

 下着は猿股、腹巻き、ステテコ、(一体何十年はいているのやら。。。)生活スタイルは昭和のまんまです。

 しかし最近少しづつ認知症気味になり心配でしょうがありません。

 信頼関係を築かねば言うことを聞いてもらえないと思い、毎夕私が食事を作っています。もう3年になります。

 たまには遠出のドライブにも連れて行ったりしています。

 人身事故など起こす前になんとか、認知症気味の高齢者の免許を許可しない法制度ができないかと強く思っています。

 同じような状況にある同世代の友人もいて、二人で悩みを語り合いますが具体的にはなにもなく。。。


(数年前、鮎川からの帰り道「太平洋」を眺める父)

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 さて、愚痴話からガラリと変わって、土曜日の朝、救急待合室で痛む父と二人で待っていたとき、突然地震が起こりました。

 思わず不安が!

 「地震が強くて診てもらえなくなったら、この痛みどうしたらいいのだろう」

 そしてあの3.11の日、病院のとてつもない状況を一瞬にして想像させられたのでした。

 人は同じような状況に遭遇しない限り、決してその現実を想像できはしないことを思い知りました。

 地震が大したことなく過ぎたとき、心からの安堵を覚えました。

 さらにもし戦争が起きたとしたら、とも想像しました。

 多数の医者や看護師が戦地に動員され、田舎の病院がなきに等しくなったとしたら、今日の父のような場合どうなるんだろうと想像し恐ろしくなりました。

(未経験ゆえ、その想像にも限界があるはずですが。。。)

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 さて入院に付き添っていると実にいろんな「ありがたさ」を感じます。

 親切な看護師さんたち。身体ふきやら、清掃やら次々といろんな方々が病人の世話や病室のメンテをしてくれます。

 こんな至れり尽くせりの病院ってもしかしたら日本だけなのかな〜なんて思ったりします。

 これじゃ健康保険も大赤字なのはしょうがないな〜とも。

 それと看護師さんは患者に親切に対応せざるを得ない職業ですからストレスも強いことでしょう。

 この病院の総務に勤めている長女が、看護婦さんの離婚が多くて忙しい、と話していたのを思い出しました。

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 それと原発事故以来原子力とか放射線には拒絶反応が生じている私ですが、レントゲンやCTがいかに診断に役立つかを見せつけらました。

 原発の是非とはもちろん問題の中身や程度はちがいます。

 しかし、放射線というものの恩恵を受けてきた自分たちについても思いを致さなければ偏った考え方に陥るかもしれません。

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 この町立病院は赤字と、先生や看護婦の確保難で経営が大変厳しいそうです。

 しかし、24時間365日受付してくれるこの病院は住民の宝だと強く感じました。

 病院がすべて都市部に集中することがないよう祈るばかりです。

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 最後になりますが、私はドンパチだけが戦いや闘いではないと思うんです。

 「だれもが常に戦場で闘っている」と思うんです。

 自分の病気との闘い、家族の介護という闘い、あるいは生活との闘い、そんな戦場にだれしもが生きているわけです。

 他の国と戦争なんかする余裕など、もともとあるはずはないのです。

 「誇り」が「ホコリ」だらけになるのを痛みに感じ「戦い」に惹かれる人もいるでしょう。

 しかし「現実の肉体の痛み」「生活の痛み」はそれどころではないはずです。

 ですから私の政治判断は「名誉」とか「成長」とかではなく、「それは戦争により近づくことかどうか」という距離感覚だけが基準です。

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 父も順調に行けばあと一週間くらいで退院できそうです。

 今日は私の愚痴を聞いていただき本当にありがとうございました。