アナログの言葉

 世の中にはいろんな言葉があることを誰でも知っています。日本語、英語、中国語。。。しかし「デジタルの言葉」と「アナログの言葉」があることに、誰もがあまり気づいてはいません。
 ある季刊誌にこんな記事が載っていました。

 中間の色合いとは「融通」。

 さすが粋な文人「池波正太郎」はいいこと言いました。

 そういえばかつて、日本人の特徴は「融通無碍(ゆうづうむげ)」にありと言われていました。

 池波正太郎が生きていた昭和の時代には、すでにそんな言葉に影がさしていたのでしょう。

 さらに今では影に被いつくされ、「融通無碍」など誰も読めなくなってしまった時代です。

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 池波正太郎のいう「白か黒か」は「デジタルの言葉」、「中間の色合い」は「アナログの言葉」と言い換えることができるかもしれません。

 「デジタルの言葉」はコンピューターとは無関係です。

 「デジタルの言葉」も「アナログの言葉」も両方昔からありました。

 たとえば、ハムレットの「生きるべきか、死すべきか」なんてデジタル言葉の典型ですね。

 「春はあけぼの。やうやう白くなり行く、山ぎは少しあかりて・・・」なんていう「枕草子」なんかはアナログ言葉の典型でしょう。

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 デジタル言葉とは何事も「二者択一」にすること。

 思いつくままあげてみるとこんなものがあるでしょう。

 「正義か悪か」「誇りか屈辱か」「発展か停滞か」「戦争か平和か」「合格か不合格か」。。。

 こうして並べてみると、パワフルというか、怖いというか、少し気持ちが引きますね。

 豪腕な政治家とか軍人を連想してしまいます。

 それと、弱肉強食の経済理論も「デジタル言葉」で組み立てられているようです。

 だから政治や軍事、経済とかは互いに相性がいいのでしょうね。

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 政治や経済は「デジタル言葉」、文化や暮らしは「アナログ言葉」の互いに異なる世界みたいです。

 ですから、職場で「アナログ言葉」を使えば「無能」と烙印を押されます。

 反対に、家庭で「デジタル言葉」を使うと「喧嘩」になるわけですね。

 きっと水と油みたいに混じり合うことのない言語体系なんでしょう。

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 しかしこうも考えられます。

 決して混じり合うことのない「デジタル言語」と「アナログ言語」の両方の世界に生きているから私たちは救われている、と。

 茨木のり子さんの詩「孤独」に、このような一節があります。

 厖大に残された経文のなかに

 たった一箇所だけ

 人間の定義と目されるところがあり

 「境をひくもの」とあるそうな

 
 「境をひく」のは「言葉」です。

 「境」を年がら年中、四六時中引きっぱなしですから、どうしても「デジタル言語」が優勢になるんでしょうね。

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 そんな「人間の業」みたいなデジタル化を中和してくれるのが、「生き物」としての私たちのもう一つの言葉「アナログ言葉」です。

 自然や暮らし、文化は「アナログ言葉」の世界です。

 文学もアートもその仲間です。

 「デジタル言葉」をアクセルとすれば、境界を曖昧に、幅広く、多様な色調にしていく「アナログ言葉」はブレーキといえます。

 やはりアクセルとブレーキはどんな人にも両方必要です。

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 それと「アナログ言葉」の世界を豊かにしていくことは、私たちの未来を明るくしてくれることにつながると思うんです。

 なにせアナログは多様で無限です。

 あらゆることに「選択肢」が増えていきます。

 つまり一人一人の未来の可能性が増えることにつながります。

 何を馬鹿なと思われるかもしれませんが、

 私は「政治」にも「経済」にも「暮らし」にも、いや「科学」にさえ、何らかのかたちでアナログの良さを復活させていくのがいいなと思っているんです。