日向子さんが漫画をやめたわけ

 江戸人、杉浦日向子さんは「ガロ」でデビューした漫画家だったんですね〜。しかしその後漫画を描くのをやめました。その理由は?
 『杉浦日向子の食・道・楽』の後書きに、兄の写真家鈴木雅也さんがそのわけを書いていました。

 なるほどな〜と思わされました。


(本書より)

妹としての杉浦日向子より

 ・・・その後「風流江戸雀」「百日紅」「百物語」「二つ枕」「とんでもねえ野郎」などの連載に多忙を極めていたときに、

 「漫画だと、一生懸命に調べて絵に描いても十分の一も生かすことが出来なくてすごく無駄なことをやっている気がする。」

 とぼやいたことがありました。

 きっと同じ時代物を書いている小説家の作品を読んで、自分の方は、随分と割が合わないと思ったようです。

 確かに小説だったら、例えば長屋の場面などでも登場人物達の話だけでよいものが、漫画だと、周りの風景やその他諸々の大道具小道具、着物の柄から身につける小物、髪型までその時代と地方の特徴を措かなくてはいけない。

 「でも、毎回楽しみに待っているファンも多いだろう?」とだけ言いましたが、その顔は相当疲れているようでした。

 三十年以上写真で生計を立てている私も、一度も助手を使ったことがありません。

 そんなに忙しくもなかったからですが、そこまで能率を上げて仕事をしたいとは思わない性分です。

 だからその後に彼女が断筆して「隠居宣言」した時も、「ああ、やっぱり。」とそんなに不思議には思いませんでした。

 写真がない時代のことを描くのはとっても大変なことだったしょう。

 この話を読んであらためて日向子さんの漫画や絵を眺めてみると、その裏にある綿密な調査、時代考証を想像させられます。

 未来を描く想像力も大変なものですが、見たこともない過去のあれこれを絵で表すのはもっと大変なことでしょう。

 しかし、日向子さんが漫画修行で培った江戸時代の風俗に関する該博な知識こそが後年の文筆や講演を支える基となった事を考えれば、

 「漫画こそ彼女の道場であり学校であった」と言えるのかもしれません。


(『江戸アルキ帖』より)

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 漫画といえば、小説や絵画などより価値を低く見る人もいます。

 私は決してそうではないと思います。

 「総合作家」と言ってもいいのではないでしょうか。(もちろん質の高い作家だけです)

 漫画家というのは、「小説家」でもあり「画家」でもあり、場合によっては「思想家」でもあるわけですから。

 さらに金銭的にも時間的にも楽な生活をしている漫画家は少ないのも事実です。

 ということは「求道者」「修行者」でもあるようで。。。

 もしかしたら「清貧」とは彼らのことを言うのかもしれません。

 中には手塚治虫さんのように「神」?になる場合もあります。

 あらためて尊敬の念をいだくこの頃です。

  →散れば咲きして百日紅