意地悪爺さん哲学者ショーペンハウエルの超訳「毒舌幸福論」その3は、彼の「健康論」についてです。
厭世?哲学者ショーペンハウエル爺さんの本『幸福論(幸福について)』は「べらんめえ口調」で書くとしっくりきます。
今回の超訳は「睡眠を軽視してはいけないよ」というお話しです。
(ショーペンハウエル:1788-1860、ドイツの哲学者。主著は『意志と表象としての世界』)
睡眠は死への利息払いさ
健康なうちは、どんなひどい環境にも耐えられるようにトレーニングで身体をきたえるのが肝心だ。だけど調子悪いときは無理しちゃいかん。
病気の時に鍛錬したって身体が耐えられないからな。
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さて、筋肉は強い運動すればするほど強くなる。
ところが神経の方はといえばその逆で、激しく使えば使うほど弱くなる。
だから筋肉は何事によらず適当に緊張させて鍛えるがよいさ。
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これに反して神経にはどういう意味の緊張もさせないように注意するのがいいんだ。
たとえばまぶしい光とか小さい文字を長い時間見続けたりはまずい。
(パソコン、スマホなんかその典型だぜ)
それと耳には大きい音はまずい。
(スマホのイヤホンで自分だけ大音響で聞いてるのもヤバいことだ)
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そして一番大事な脳みそはあんまり緊張させないほうがいい。
脳みそだけは自分でコントロールするのが難しい。
せめて食事の間だけはリラックスするのが大事なことさね。
というのは、脳みそがあれこれ「考え」をひねり出すのに使うエネルギーとおんなじ物を、消化管で栄養素を絞り出すために使っているからさ。
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それと筋肉運動したときもおんなじ。
みんな誤解してると思うんだが、運動神経って感覚神経と同じ性質なんだぜ。
「痛い!」って思うのは負傷した手足じゃなくて「脳みそ」がそう思うからだ。
もっと言えば、歩いたり仕事したりするのも本当は脚や腕じゃなくて「脳みそ」なのさ。
脳みそから延髄や脊髄を通してそうさせるわけだ。
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だから「疲れる」のは脳みそ直結の随意筋って筋肉だけだ。
同じ筋肉でも「心臓」のような不随意筋ってやつは、どんなに働こうと疲れないわけさ。
もうわかったろう。
脳に対して激しい運動と精神的ストレスを同時にかけると、脳みそが悲鳴をあげるのさ。
ただし散歩とかの運動は別もんで、逆にストレス発散になる。
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脳みそには睡眠がとっても重要だ。
それって時計のゼンマイを巻くのと同じことだ。
ここで考えてほしい。
寝過ぎは無意味だってことをさ。
ゼンマイを巻きすぎたって効果がないだろう。
さてここからが大事なオレの見解だ。
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睡眠っていうのは、実は「死」の一部なんだ。
死の一部を前借りするってわけだ。
その借りた金というかエネルギーを昼の勤めに費やして「生」を維持してるのさ。
だから「睡眠は死からの負債である」と言っていいだろう。
睡眠は生を維持するために死から借金をすることだ。
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あるいは、こんなふうにも言えるぞ。
死そのものが元金の支払いだとすれば、睡眠は死の当座の利息だ。
「生」と「死」っていうのは「金を借りる奴」と「金貸し」の関係と同じさ。
利息さえきちんと払っていれば、金貸しは無理な督促はしない。
利息払いを怠ると強烈な「取り立て」に会うってこと。
この喩えならよくわかるだろう?
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歴史上多くの智者が誤解し、彼らが精神錯乱となった理由を教えておくぞ。
それは、「脳みそには心が宿っている。それゆえ外界の何ものをも必要としないのだ」というトンデモない幻想を信じていたからさ。
脳みそも胃袋も同じってこと。
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<ショーペンハウエル爺さん関係の過去ブログ>
毒舌幸福論「人は変わりようがないのさ」
ショーペンハウエル「悩みは幸福の尺度である」
睡眠は死への利息払い
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